>>2
ちゃうで
まぁ勝手にやらせてもらうで
信憑性の低いのも混じってるが笑って流してくれやで
>>4
ありがとうやで
①
彡(゚)(゚)「よし、出陣やで!」
(´・ω・`)「兵糧敵に渡しておいたよ」
彡(゚)(゚)「ファッ!?なんでそんなことしたんや!はよ弁明せな」
(´・ω・`)「もう手遅れだよ。切腹させられるよ」
彡(○)(○)「・・・・・・しゃーない、謀反や!」
(´・ω・`)「じゃあぼくは降伏するね。謀反頑張ってね」
彡( )( )「」
彡(゚)(゚)・・・荒木村重
(´・ω・`)・・・中川清秀
1578年、織田家に使えていた荒木村重が突如として信長を裏切ったが、その原因は
家臣の中川清秀が兵糧を信長の敵である石山本願寺に横流ししていたからだという。
当の清秀は信長に攻められると直ちにに降伏し後の戦闘で村重を攻撃している。
なお清秀は5年後の賤ヶ岳の戦いで討ち死している。
②
彡(゚)(゚)「あかん・・・敵と通じてたのバレてまう・・・」
彡(゚)(゚)「しゃーない、家のために切腹や!(ブスー」
彡( )( )
彡( )( )
彡( )( )「・・・せや、仕事残ってるんやった!」
彡(゚)(゚)・・・日根野弘就
関ヶ原の戦いで日根野氏は東軍に属して戦ったが、当時出家してた弘就は密かに石田三成と通じていたことが露見しそうになった。
弘就は日根野氏を守るために切腹・・・した後にまだ証拠品の処分をしていなかったことに気づいた。
慌てて露出した臓物を捨てながらそれらの証拠品を焼いて処分したのち、しばらく生きていたが次の日の晩やっと息を引き取った。
③
(´・ω・`)「褒美あげるからこの城の水口教えて」
(*^◯^*)「絶対に教えないんだ!」
(’ω`)「カエッテ・・・」
彡(^)(^)「ええで!」
~~~~
(●゚◇゚●) 「彡(゚)(゚)君でしょ?敵に水口教えたの」
彡(゚)(゚)「せやで。なんや褒美はやらんで」
(●゚◇゚●) ・・・
(●●◇●●)ブォン・・・
(●●●●●●●●●)ブォンブォンブォンブォンブォン
(´・ω・`)・・・島津軍
(*^◯^*)(’ω`) (●゚◇゚●) ・・・岩屋城住民
彡(゚)(゚)・・・老婆
島津軍は大友家の高橋紹運が守る岩屋城を攻めていたが、苦戦を強いられたため水口を抑えて城兵を枯れさせようと城下の民に協力を仰いだ。
ほとんどの住民が拒否する中、一人の老婆は金に釣られて島津軍に水口の場所を教えてしまう。
岩屋城が落城すると、老婆は紹運を慕っていた住民達に生き埋めにされたという。
④
彡(^)(^)「いろいろあったけど所領安堵されたやで!明日は全員で祝宴や!」
(*^◯^*)「やったんだ!」
( ・`ω・´)「やったぜ」
地震「よろしくニキーwwwwwwww」
彡( )( )「」
(* ◯ *)「」
( ω )「」
彡(゚)(゚)・・・内ヶ島氏理
(*^◯^*)( ・`ω・´)・・・内ヶ島一族及び家臣
信長死後、内ヶ島氏理は佐々成政と協力して羽柴秀吉に対抗したが敗れた。
氏理は秀吉に謝罪すると、許されて所領を安堵され、大いに喜んだ。
ところが翌日に宴会を開くため一族郎党や家臣を城に集めたところ、突如大地震が発生して城は埋没。
内ヶ島家は一夜にして滅んだ。(ただ弟は出家していたため呼ばれずに難を逃れた)
⑤
(ヽ*´◯`*)「・・・」
彡(゚)(゚)「どうしたんや」
(ヽ*´◯`*)「大恩ある大名家滅ぼしちゃったんだ・・・祟られないか心配なんだ・・・」
彡(^)(^)「なにいってだこいつ(大丈夫や!そんなんあったとしてもワイが全部引き受けるやで!)」
(*^◯^*)「・・・ありがとうなんだ!元気が出たんだ!」
(ヽ*´◯`*)・・・長宗我部元親
彡(゚)(゚)・・・吉良親貞(元親弟)
長宗我部元親の父・国親は一度滅ぼしかけられた長宗我部家を一条家の後押しを受けて再興した。
その後元親が土佐統一の為に軍を動かすと一条家と敵対、一条家を四国から追放した。
そのことで元親は気を重くしたが、吉良親貞の言葉を受け奮起、四国統一に乗り出す。
しかしまもなく親貞は病死。親貞の死によって元親の四国統一は5年遅れたとされる。
⑥
(´-ω-`)「ぼく総大将だけど代わりに戦に出てね」
彡(゚)(゚)「は?ふざけんな(ええで)」
(´-ω-`)「補佐として(*^◯^*)も連れて行ってね」
(*^◯^*)「よろしくなんだ!」
~~~~
彡(゚)(゚)「そろそろやな・・・全軍、攻撃や!」
(*^◯^*)「霧が濃いから無理なんだ!意地でも動かないんだ!」
彡(゚)(゚)「え?どういうことや!なんで(*^◯^*)は言うこと聞かんのや!?」
(●▲●)「なにしてんだ。早くしろ」
彡( )( )「」
彡(◯)(◯)「今弁当食べてるんや!だからしばらく待っててくれや!」
(´-ω-`)・・・毛利輝元
彡(゚)(゚)・・・毛利秀元
(*^◯^*)・・・吉川広家
(●▲●)・・・長宗我部盛親
関ヶ原の戦いで西軍の総大将毛利輝元は出陣せず、養子の秀元と補佐に吉川広家をつけてを出陣させた。
その広家は西軍の敗北を予見しており、毛利家を存続させるために東軍と極秘裏に交渉を進めていた。
いざ戦いが始まると広家は決して動こうとせず秀元は困惑。
そんな時に背後に陣を敷いていた長宗我部盛親から出撃要請を受けた。
事態を飲み込めない秀元は咄嗟に「弁当を食べているから動けない」と嘘を付く。
結果的に広家が兵を動かさなかったことで2万以上の兵が疑心暗鬼に駆られ最後まで戦闘に参加出来ず、戦況に多大な影響を及ぼした。
「宰相殿の空弁当」と呼ばれる一連の出来事である。
⑦
(´・ω・`)「敵城包囲したけど先陣に伝えて欲しいことあるから行ってきて」
彡(゚)(゚)「承知したやで。えー先陣は確か城の向こう側やったな」
彡(゚)(゚)「迂回しようにも時間掛かるしここの地理良く分からんから迷いそうやな」
彡(゚)(゚)「…」
彡(^)(^)「せや!迂回しなければええんや!」
(´・ω・`)・・・徳川秀忠
彡(゚)(゚)・・・島田兵四郎
徳川秀忠は関ヶ原で家康本隊と合流するため真田家が守る上田城を攻めていた。
秀忠は先陣と連絡するために島田兵四郎という男を伝令に行かせた。
先陣は城の反対側にあり、迂回しては時間がかかってしまい伝令の意味を成さなくなると判断した兵四郎は上田城の城門に近づき、
「この先に居る友軍に伝えたいことがあるから城の中を通してほしい」と叫んだ。
城主・真田昌幸は「肝の据わった奴だ。ここで通さねば我らは一兵士にも劣ると見られてしまう」と判断し快く通過を認めた。
兵四郎は裏門から城を抜ける際に「もう一度来るのでその時も通して欲しい」と言い、実際その後再び通過を求めてきたので
昌幸は大いに感心し、自ら城の中を案内すると
「城の中の備えを見ただろうが城攻めの役には立つまい。真の守りは城の大将の心の中にあるのだ」と言い秀忠の元に帰した。
なお上田城攻略に手間取った秀忠は関ヶ原本戦に間に合わず、家康はしばらく秀忠と会うのを拒否したとされる。
ちょっとペース速いかな?
⑧
(*^◯^*)「呼ばれたから来たんだ!」
彡(゚)(゚)「お前幻術使うんやってな。そのまやかしで百戦錬磨のワイを震え上がらせてみろ」
J(゚)(゚)し「ポンッ」
彡( )( )「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ」
(*^◯^*)・・・果心居士
彡(゚)(゚)・・・松永久秀
松永久秀は巷で評判の幻術使い果心居士に対し「幾多の戦場で一度も恐怖を感じたことのない自分をお前の術で怖がらせてみろ」
と挑んだ。そこで果心居士は亡くなった久秀の妻に化けると、久秀は仰天し顔面蒼白となり負けを認め、しばらく震えたままになったという。
⑨
(●゚◇゚●)「使者として来たよ」
彡(^)(^)「よう来たで。酒飲もうや」
(●゚◇゚●)「いや使者なんでそういうのはちょっと」
彡(^)(^)「飲んだらなんでもあげるで」
(●゚◇゚●)「いや、」
彡(●)(●)「ああん?ワイの酒飲めへんのか腰抜け!役立たず!ゴミ!」
(●゚◇゚●)「…」
(●゚●゚●)ブォン…(ガブノミー
(●●●●●)「なんでもくれるって言ったよね」
彡( )( )「え、あ、」
(●●●●●●●)ブォンブォンブォン…
彡(◯)(◯)「わ、分かった!なんでもあげるやで!」
(●゚◇゚●)・・・母里友信
彡(゚)(゚)・・・福島正則
黒田家の使者として福島正則の元に使わされた母里友信は正則に酒を勧められた。
友信は上戸として名が通っていたが使者という立場上これを断った。
正則は飲んだら好きなものを褒美としてとらすとさらに勧めたが
それでも固辞する友信(及び黒田武士)を侮辱した。
耐え切れなくなった友信は酒を一気に飲み干すと、褒美として正則が豊臣秀吉から授かった槍「日本号」を所望する。
正則は躊躇うが断るわけにも行かず仕方なく日本号を差し出した。
以後この逸話は「黒田節」として広まった。
>>32
ありがとうやで
>>33
逆ゥー! ありがとうやで
⑩
彡(゚)(゚)「クソッ鷹狩り上手くいかへん」
(*^◯^*)「南無阿弥陀仏なんだ!南無阿弥陀仏なんだ!」
彡(゚)(゚)「おいクソ坊主!鷹狩れへんのはお前のせいや!馬に括り付けて引きずり回したる!」
(*^◯^*)「やめるんだ!」
彡(^)(^)「おらっおらっ!ハハッ、いい気分や!」
彡(゚)(゚)・・・松平信康
(*^◯^*)・・・僧侶
松平信康は徳川家康の嫡男として生まれたが、家康と母・築山御前の仲は冷え切っており微妙な立場にあった。
信康はそれら鬱憤をはらすために度々鷹狩りに赴いていた。ある日、上手く鷹を狩れずにいた信康は苛立ちのあまり
近くにいた僧侶をして殺してしまう(当時狩りの最中に僧侶に出会うと獲物が少なくなるという風潮があったため)。
後日信康は家康に対しこの件について謝罪しているが、後の信康切腹事件の遠因のひとつとされている。
⑪
J(゚)(゚)し「京に着いたわ。ワイの結婚相手ってどんな方なのかしら」
(´・ω・`)「あ、いたぞ!捕らえろ!」
J(゚)(゚)し「いやんいきなりなにするんですや」
(´・ω・`)「処刑」
J( )( )し「」
J(゚)(゚)し・・・駒姫(最上義光娘)
(´・ω・`)・・・豊臣軍兵士
当時の関白・豊臣秀次は最上義光の娘が美少女だという噂を聞き、義光に差し出すよう要求した。義光は拒否したが
相手は豊臣秀吉の養子にして関白、ついに断りきれず15歳になったら側室として献上する約束をしてしまう。
そして15歳となった駒姫は京へ赴くが、到着直後豊臣秀次切腹事件が発生する。
秀吉は秀次の側室を含む一族郎党の粛清を図り、その中に秀次と会ったことすらない駒姫も含まれていた。
義光はもちろん、前田利家や徳川家康までもが助命嘆願したが、聞き入れられず駒姫は処刑された。
(秀吉が助命嘆願を聞き入れたもののすでに処刑が執行された後だったという説もある)
駒姫と同じくして処刑された側室達もその場で掘られた穴に埋め込まれ、その上に「畜生塚」と書かれた碑が置かれた。
これを受け駒姫の母は二週間後病死し、義光は豊臣家に深い憎しみを抱くこととなった。
⑫
(*^◯^*)「あああああああああああああああああああああ」
(☆…●)「・・・!」
~~~~
彡(゚)(゚)「ん?(*^◯^*)ってやつが戦で大活躍したらしい?」
彡(゚)(゚)「・・・」
彡(^)(^)「日本一の兵やな!」
(*^◯^*)・・・真田幸村
(☆…●)・・・徳川家康
彡(゚)(゚)・・・島津家久(忠恒)
島津家久は大坂夏の陣に徳川方として参陣しようと薩摩を発したが、その途中で大坂城は陥落し戦は終結した。
その時の真田幸村の活躍ぶりを噂で聞いた家久はその目で見ていないにも関わらず、
「真田は日本一の兵である。これほどの活躍は古今どの物語を探しても存在しない。
と記した手紙を薩摩に送った。
『真田日本一の兵』という呼称の誕生である。
完全に余談であるが、戦国時代に島津家久という人物は二人おり、片方は島津貴久の息子にして島津四兄弟の末弟「家久」。
もう片方は島津四兄弟の長弟・島津義弘の息子(上記の家久の甥に当たる)「忠恒」である。
忠恒は1606年に家康から偏諱をうけ、以後「島津家久」と名乗った。
⑬
(*^◯^*)「その刀かっこいいんだ!」
(’ω`)「アゲル・・・」
(*・◯・)「えっ」
( ・`ω・´)「その着物似合ってるぞ」
(’ω`)「アゲル・・・」クシャミクシュンー
(; ・`ω・´)「えっ」
彡(^)(^)「(さすがに木は大丈夫やろ)その木立派やな」
(’ω`)「アゲル・・・」ヒッコヌキー
彡( )( )「」
(*^◯^*)、( ・`ω・´)、彡(゚)(゚)・・・尼子家家臣
(’ω`)・・・尼子経久
尼子家当主・尼子経久は物に全くというほど執着せず、家臣が経久の持ち物を褒めるとどんなものでもその者に与えた。
ある時家臣の一人が庭の木なら大丈夫だろうと褒めたところ、経久がその木を引き抜こうとした。
慌てて周囲の者は止めに入ったが、経久はその木を切って蒔としたものを家臣に渡した。
その時「木を丸ごとあげられないのは残念だ」と言ったとされる。
⑭
彡(゚)(゚)「お、敵将や!射殺したろ!」
(*^◯^*)「待つんだ!武士らしく刀で戦うんだ!」ヤリポイー
彡(゚)(゚)「・・・せやな、刀で勝負や!」ユミポイー
(*^◯^*)「えいっ」ヤリヒロッテグサー
彡( )( )「」
彡(゚)(゚)・・・木山正親
(*^◯^*)・・・加藤清正
豊臣秀吉の九州平定後、加藤清正は肥後(熊本)北部の大名となっていた。
ある時反乱が起きると清正は鎮圧に向かい、そこで反乱軍の木山正親という武将と遭遇する。
木山正親は反乱軍でも名のある武将で、清正を見つけると弓を構えた。
そこで清正は彼に対し正々堂々刀で戦おうと提案し自ら槍を投げ捨てる。
正親もそれに応じ弓を捨てるが、その直後清正は槍を拾い上げ正親を討ち取った。
⑮
(*^◯^*)「そろそろ城が落ちるんだ!包囲を突破して援軍を呼んでくるんだ!」
彡(゚)(゚)「分かったで」
彡(゚)(゚)「援軍クレメンス」
(’ω`)「ワカッタ・・・」
彡(^)(^)「よしさっそく城のみんなに伝えるやで!」
彡( )( )「敵に捕まったンゴ・・・」
(☆…●)「城に援軍が来ないから諦めろって言ったら重用してやるぞ」
彡(゚)(゚)「死にたくないしええで」
彡(゚)(゚)「城兵のみんな、よう聞くんや!」
彡(^)(^)「援軍はもうすぐ来るで!あと少し頑張るんや!(援軍なんかこーへんからとっとと降伏せい!)」
(♯☆…●)「磔にしろ」
彡(○)(○)「間違えたンゴ・・・」
(*^◯^*)・・・奥平貞昌
彡(゚)(゚)・・・鳥居強右衛門
(’ω`)・・・徳川家康
(☆…●)・・・武田勝頼
1575年、武田勝頼は武田家から離反した奥平貞昌以下500の兵が籠る長篠城に1万5000の兵で攻め寄せた。
貞昌は良く守ったが、その内陥落寸前まで追い詰められ、家臣の鳥居強右衛門に家康へ援軍を請うよう向かわせた。
強右衛門は武田軍の包囲を突破し家康に会うとすでに織田が援軍として到着し、まもなく長篠へ向かう手筈であることを知る。
強右衛門はすぐさま引き返し、烽火を上げて城兵に援軍来たるの報を知らせると、詳しく伝えようと再び包囲を突破して長篠城に戻ろうとした。
ところが烽火を上げたことで警戒していた武田兵に捕らえられてしまい、勝頼の元に引き立てられてしまう。
そこで「さっきの烽火は誤報であり、援軍は来ない」と長篠城に向かって言えば、以後武田家で厚遇すると持ちかけられた。
援軍が来ないと知れば意気消沈し城側から降伏を申し出てくるだろうという勝頼の読みからであった。
強右衛門はそれを表向き承知する。
そしていざ城前まで連れて来られると、「さっきの烽火は正しく、援軍はあと数日でくる。あと少しの辛抱だ」と叫んだ。
勝頼は激怒し、強右衛門を磔にした上で殺害した。
しかし強右衛門の言葉とその壮絶な死を受け城兵の士気は大いに上昇し、
結果援軍の到着までに長篠城を落とせなかった勝頼は万全の体制を整えられないまま織田・徳川連合軍を迎え撃つことになってしまう。
完全に余談だが、貞昌は援軍到着まで持ちこたえたことで信長から高く評価され、「信」の偏諱を与えられて以後「奥平信昌」と名乗った。
以上やで
質問あったら受け付けるやで
>>50
これで最後や・・・すまんな
>>62
が、頑張るやで
>>63
ワイも強右衛門は好きやで
>>64
>>65
>>66
ありがとうやで
ワイ将、平蜘蛛をノッブ渡したくない
せや!
>>73
おは爆弾正
んじゃこれで終わりにするで。今まで付き合ってくれた人サンキューやで
彡(●)(゚)「子ネズミの味噌汁?」
彡(●)(^)「そんなんナンボでも喰ったるで!」
伊達政宗、ゲテモノ食い競争で子ネズミの味噌汁を喰って死にかける
(*^〇^*)「疑わしきは罰するんだ。それが家中を引き締める。」
(●▲●)「セップクー」
・・・・・・・・・・・
J(‘-`)し「何と!夫が自害に追い込まれたと申すか!何たる所業」
家臣「真に内応したか分からぬうちに誅殺とは、何とも腹立たしく」
J(‘-`)し「あるまじき恥さらし!どうせ裏切るなら堂々と、裏切らないなら主家に忠義を尽くせばよいものを・・家の名を怪我しおって」
彡(゚)(゚)「マッマ安心するんや。次期当主のワイが修羅のごとく戦い、最後は城を枕に討ち死にする覚悟や。地に落ちた家名はワイが復活させるやで」
J(‘-`)し「だまらっしゃい!!」
彡(゚)(゚)「ええ・・・」
J(‘-`)し「城を枕に討ち死に?つまり、野戦で負けておめおめと帰ってくるつもりか?母は情けないぞ」
J(‘-`)し「これからお前に不退転の覚悟を植え付けます。」
彡(゚)(゚)「それはどんな方法なんや?」
J(‘-`)し「ここにお前が可愛いがっていた弟がいます。私にとってもお腹を痛めて産んだ愛おしい子供たちです。」
彡(^)(^)「せや、一緒に我が家を担う弟たちやで。すくすくと朗らかに・・」
J(‘-`)し「死ね!」ズシャ・・
J(‘-`)し「お前もじゃ!!」ザシュ・・・
彡(○)(○)「」
J(‘-`)し「妾が意は既に決す!御身をして、内顧の憂いをここに無からしめん!!」
彡(○)(○)「」
彡(●)(●)「感動した!流石マッマやああああ!!」
彡(●)(●)「ワイもやったるで!先祖伝来の家宝や書物も全部燃やすんや!!」
彡(●)(●)「出陣やあああああ!!ワイに続けえええええ!!」
戦国武将やないけど、
彡(^)(^)「実家の商店の提携先の幼馴染と結婚するやで~」
(●▲●)「キリシタンとは結婚させられねーわ。あと、あんたの実家とは提携解消したし」
彡#(゚)(゚)「ファッ!?ワイをバカにしとるんか!?ヤクザ呼んで打ち壊したろ!」
(*^◯^*)「キリシタンになって貴方と結婚するから、やめてほしいんだ!」
彡(゚)(゚)「ちっ、しゃーないわ。あと、お前の両親も改宗しろよ。断ったらどうなるかわかっとるやろうなあ?」
(*^◯^*)「わ、わかったんだ…」
~~~~~~~~~~~~~~
( ・`ω・´)「素晴らしい!こうして彼の真摯な説得により、邪教徒の改心に成功したのです。」
彡(゚)(゚)…堺の商人の息子(キリシタン)
(*^◯^*)…堺の商人の娘(仏教徒)
(●▲●)…(*^◯^*)の父(仏教徒)
( ・`ω・´)…ルイス・フロイス
フロイスにはこんなのもある
彡(゚)(゚)「あいつら何やっとるんや?」
(´・ω・`)「座禅だよ。でもたいがいの奴はどうしょうもない事ばかり考えてるんだ」
彡(゚)(゚)「ほーん、ところで、お前は若い頃と年寄りになってから、どっちがいい時代やった?」
(´・ω・`)「若い頃かな?あの頃は何をすればいいかわからなかったなあ。
もっとも、今でも何をしてたら良かったのか、わからないんだけどね」
彡(^)(^)「そうか。まあワイも似たようなもんや!ワイら、宗教は違えど、ええ友達になれそうやな!」
~~~~~~~~~~~~
( ・`ω・´)「だが、(´・ω・`)は所詮、邪教徒なので、地獄に落ちたのである」
彡(゚)(゚)…フランシスコ・ザビエル
(´・ω・`)…忍室(島津家の菩提寺の住職)
彡(゚)(゚)「下剋上するで!反逆の狼煙を上げるんや」
彡(゚)(゚)「せやけど、正攻法では城攻めは厳しいな・・・・せや!!」
・・・・
(´・ω・`)「ねぇ、あれ僕らの嫁や娘じゃない?」
(´・ω・`)「ね、ねぇ・・・何されてるの??・・まさか」
・・・・
彡(゚)(゚)「ええか?ワイらが攻めたら、お前らは城下にある集落に走って・・。」
彡(゚)(゚)「目についた女子供は連れ去れ、犯せ、輪姦せ。なるべく派手に・・な!!」
・・・・
(´・ω・`)「い、戦どころじゃないよ。」
関ヶ原合戦後
(*^◯^*)「ぼくは治部少輔の世話になったことがあるので面会したいんだ!」
・・・・・・・・・・・
(*^◯^*)「さてさて
彡(゚)(゚)「いやいや、もはや何も言わぬものやで」
(*^◯^*)「・・・」
この時ポジは彡(゚)(゚)、(●▲●)、( ・`ω・´)の3人に小袖を差し出した
・・・・・・・・・・・
(●▲●)「小袖を下さること忝ない。多くの人と対面するのは面目ないけど自害できないからね・・・」(←キリシタン)
・・・・・・・・・・・
( ・`ω・´)「それだけか」
と言って着用した。彼は諸大名に会ってもずっと無言であった。傷が痛むように見えた。
・・・・・・・・・・・
彡(゚)(゚)「これ誰からの小袖や」
(*^◯^*)「上様からなんだ!」
彡(゚)(゚)「上様とは誰や?」
(*^◯^*)「内府様(家康)なんだ!」
彡(゚)(゚)「上様(秀吉)はこの前お亡くなりになったばかりやのに、早くも内府を上様と呼ぶんか」
それだけ言って小袖を着ようとしなかった。
諸大名には雑言(悪口)を言っていた。
(*^◯^*)…藤堂高吉
彡(゚)(゚)…石田三成
(●▲●)…小西行長
( ・`ω・´)…安国寺恵瓊