1945年8月21日 デーモンコア臨界事故
アメリカのロスアラモス国立研究所で原爆開発に従事していたハリー・ダリアンが、
中性子反射材である炭化タングステンでプルトニウムの球体を囲み徐々に臨界に近づける実験中、
誤って炭化タングステンのブロックを球体の上に落下させて急速に臨界状態を発生させてしまった。
ダリアンは推定5.1シーベルトの放射線を浴び、25日後に死亡した
(´・ω・`)「もうやめた方がいいよこんな危ない実験」
彡(゚)(゚)「ワイがやらんかったら誰がやるねん、大丈夫何回もやってるしヘーキヘーキ」
彡(゚)(゚)「あっ」ガツン
彡(゚)(゚)「熱っ!酸っぱ!まぶしっ!」
(´・ω・`)「これって…」
彡(゚)(゚)「危ない!皆逃げろォ!」バシッ
1946年5月21日 デーモンコア臨界事故(9ヵ月ぶり2度目)
同じロスアラモス国立研究所のルイス・スローティンは、プルトニウム球の周りにベリリウム半球を重ね、
間をマイナスドライバーで支えてグラグラさせることで臨界に近づけるというこれまた危険な実験を行っていた。
リチャード・ファインマンをして「ドラゴンの尾を踏む」と形容するほど危なっかしい実験を他のメンバーはやりたがらず
エンリコ・フェルミは既に40回以上この実験を行っているスローティンの身を案じ「年内に死ぬぞ」と警告していた。
しかし功名心の強いスローティンはなおも実験を繰り返し、ついに半球を接触させる事故を起こしてしまった。
青い光や酸味、左手に燃えるような感覚を覚えたスローティンは臨界状態を察知し、すぐさま半球を手で払いのけた。
周囲の仲間への被害は軽微で済んだもののスローティン自身は手遅れで、9日後に病院で死亡した。
僅か9か月間で2人の命を奪ったプルトニウム球は「デーモンコア」と呼ばれ、
その直後に行われたクロスロード作戦にて原爆のコアとして用いられ、爆発とともに葬り去られた。
彡(゚)(゚)「廃液移し替えるのめんどくさいなあ、もうちょっと早く出来んやろか」チョロチョロ
彡(^)(^)「せや、タンクから直接移せばええやんけ!」
彡(^)(^)「じゃあ皆でいっせーので傾けるで!」
彡(゚)(゚)「いっせーのー!」ジャー
1958年1月2日 マヤーク臨界事故
ソ連の核燃料工場マヤークで臨界実験が行われた後、廃液をタンクに移し替える際に意図しない臨界が発生した。
タンクは幾何学的に臨界を発生させない形状になっていたものの、作業員3人が時間短縮のため直接移し替えようとし、
タンクを傾けたため形状が変化、さらに3人がタンクを取り囲んだことで体内の水分が中性子反射材となり臨界、
容器は爆発し全員が被曝、10日以内に全員が死亡した。
彡(゚)(゚)「出力は…まだ大丈夫やな」
彡(゚)(゚)「…くっさ!なんやこの臭い!」
1958年10月15日 ヴィンチャ原子力研究所臨界事故
ユーゴスラビアのヴィンチャにあるボリス・キドリッチ核科学研究所で、重水炉の臨界近接を測定する実験中、
装置の故障により出力が異常なレベルまで上昇してしまい、臨界事故が発生。
研究員の一人がオゾン臭に気付き臨界を察知したものの、1人が死亡、5人が負傷した。
彡(゚)(゚)「ここに混ざってるプルトニウムをこれで分離するんやで」
(´・ω・`)「うん、わかったよ」
彡(゚)(゚)「すまん原ちゃん、さっき渡したサンプルの濃度が間違ってて…」
(´。ω゜`)「燃えてる!燃えてる!」
彡(゚)(゚)「…」
1958年12月30日 セシル・ケリー臨界事故
ロスアラモス国立研究所のセシル・ケリーは、実験で使われた廃液からプルトニウムを回収する実験を行っていた。
ケリーは有機溶剤などの化学薬品にプルトニウムが混ざったサンプルを大型タンクで撹拌する作業を行ったが、
この時誤って予定の200倍もの濃度のプルトニウムが含まれたサンプルが渡され、およそ3.7kgものプルトニウムを撹拌してしまう。
当然スイッチを入れた途端に臨界状態となり、青い光と雷鳴が発生、ケリーは致死量の放射線を浴びた。
その後「私は燃えている!」と繰り返し叫びながら雪の中に倒れているケリーが発見され、35時間後に病院で死亡した。
少しぐらい続けてもばれへんか……
彡(゚)(゚)「あとは制御棒を戻すだけやな」ポチー
彡(゚)(゚)「しまった!逆や!」ドカーン
1961年1月3日 SL-1臨界事故
アメリカ・アイダホ州の海軍所有の研究用原子炉SL-1で、炉心の臨界とそれに伴う蒸気爆発が発生した。
この原子炉は中央の制御棒を引き抜くだけで臨界に達することができ、当時施設の改修が終わり、
制御棒を元に戻す作業が行われていたことから、誤って制御棒を引き抜いたために起きたと考えられるが、
現場にいた3人の内2人が即死、1人も短時間で死亡したため詳しいことは分かっていない。
彡(゚)(゚)「廃液にトリクロロエタンを混ぜて…」
彡(゚)(゚)「あっ間違えてウラン混ぜてもた」
1964年7月24日 ウッドリバー臨界事故
アメリカ・ロードアイランド州ウッドリバージャンクションの再処理施設にて、炭酸ナトリウム溶液中のウランを分離する作業中、
トリクロロエタンのボトルと間違えてウラン溶液のボトルをタンクに加えてしまい、臨界状態が発生。
閃光が走ったほかタンクの内容物の20%が飛散し、作業員は大量に被曝して49時間後に死亡した。