彡(゚)(゚)「今回はワイが面白いと思った歴史の珍事件を1つ紹介するで!」
彡(^)(^)「暇やったら見てな!」
ジョルジェ・マルティノヴィッチ事件
1985年
~ユーゴスラビア社会主義連邦共和国のコソボ社会主義自治州の病院~
彡(。)(;)「ケツの中で瓶が割れて超絶痛いんや!助けてクレメンス」
(´・ω・)「うわぁ、おしりの中でビール瓶が割れているよ…」
彡(●)(●)「はよ助けんかい!」
(´・ω・)「セルビアのおにいちゃんはどうしてこんな事になったの?」
彡(。)(;)「そ、それはやな…」
~数時間前 農地にて~
彡(^)(^)「今日もええ天気やな!農業頑張るで!」
アルバニア人A「おう!お前何してんなん!てか誰や!」
アルバニア人B「お前セルビア人か?」
彡(゚)(゚)「なんやお前ら、ワイはセルビア人のジョルジェ・マルティノヴィッチやぞ!」
アルバニア人A「セルビア人は土地売ってコソボから出ていって、どうぞ」
アルバニア人B「そうだよ(便乗)」
彡(゚)(゚)「は?ここはワイの土地やぞ。何でお前らにそんな事指図されなあかんねん、コラ!」
アルバニア人A「セルビア人は人間の屑、反省してないってはっきりわかんだね」
アルバニア人B「ズボン脱ぐんだよ。あくしろよ」
彡(^)(^)「馬鹿野郎お前、どこ触ってんだ!辞めろ!ナイスぅ~」
(´・ω・)「それでア〇ルにビール瓶ぶちこまれて割られて病院に運ばれたんだね…」
彡(^)(^);「せ、せや、そういう事やから、早く治療してクレメンス」
(`・ω・´)「もうアルバニア人の暴虐には起こったよ!ユーゴスラビア政府に報告しなくちゃ!」
彡(^)(^);「いや、そないな大事にせんでも…」
ユーゴ大佐「怪我は大丈夫ですか?」
彡(^)(^);「ありがとな、今日は見舞いにわざわざユーゴ軍の大佐殿が来てくれたんか?」
ユーゴ大佐「単刀直入にいうとお前嘘ついているだろ?」
彡()()「ハテナンノコトカ…」
ユーゴ大佐「お前ビール瓶でア〇ニーしててコケて怪我したんじゃないのか?」
ユーゴ大佐「お前の事件は連邦の潜在的な民族対立に火を付けつつある。それにいくら探しても事件当時のアルバニア人2人組なんて見つからないぞ!」
彡(-)(-)「実はア〇ニーしとってコケたんや。恥ずかしくて嘘ついたんや…」
ユーゴ大佐「やっぱりな(レ)」
ここで被害者とされたジョルジェはア〇ニーでの偶発的事故を認めた
~場所は変わってユーゴ政府~
閣僚A「コソボで起きた事件やばいンゴ」
閣僚B「国家分裂の危機やんけ!」
閣僚C「これは政府がア〇ニーか事件か調べんとなぁ」
閣僚A「各民族から医者出して公平にジョルジェのア〇ルを調べたろ!」
民族主義の高まりに危機を感じたユーゴ政府が医者団を派遣して本格的調査に乗り出した
医者団「ア〇ルどころかビール瓶の先端が直腸まで到達してるナリ」
医者団「1人の力では無理ナリ」
医者団「これは被害者自身では物理的に不可能ナリ、2人ナリか、複数の力でやられた可能性が高いと推定するナリ!」
セルビア民衆「やっぱりな(レ)」
セルビア民衆「ユーゴ軍の発表は嘘!アルバニア人の仕業や!」
ユーゴ政府「一応セカンドオピニオンつけたれ!高名な外科医のヤネス・ミルチンスキをリーダーとしたユーゴ最高の医者団でア〇ル調べるで!
ヤネス医師「直腸にビール瓶が入っているのはコケた時に浣腸みたいになってその圧力で入っただけだから、ア〇ニーの事故でしょ」
セルビア民衆「ユーゴ政府は嘘つき!アルバニア人の味方してるやんけ!」
セルビア民衆「アルバニア人をゆるすな!打倒アルバニア!オスマン帝国の様なアルバニアを許すな!」
こうなるともう何を言っても聞いてくれない民衆
そしてアルバニア人によるセルビア人襲撃を指示する政治的、歴史的事情がコソボには存在した。
まず、コソボではセルビア人は少数派でセルビア人口はコソボから減少していた。この背景には、コソボからセルビア人を追い出し、その資産を手に入れようとするアルバニア人の存在があるとセルビア人には考えられていた。
また、歴史的にセルビアを支配していたオスマン帝国とアルバニアがセルビア人には被ってみえた。オスマン帝国の処刑方法である串刺し刑とア〇ルにぶちこまれたビール瓶を対比的にセルビア人は捉え、支配者に対する抵抗と見出だしたのだ。
また、この事件は最終的に「アルバニア人やムスリム(オスマン帝国)の害悪に耐えるセルビア人」という分かりやすい構図を提供してしまい、さらにセルビア人の民族感情を煽った。
ある作家などは「1人の男に対するヤセノヴァツ」とこの事件を表現した。
ア〇ニーをするだけで、ヤセノヴァツ(ナチスの強制収容所)扱いされる男
コソボでのア〇ニー事件はユーゴスラビア全土を巻き込んだセルビア民族主義に昇華し、各地で反アルバニアデモが起こった。
では、加害者にされたアルバニア人はこの事件にどの様な感想を持ったのか?
アルバニア人「農家のおっさんがア〇ニー失敗しただけでしょ」
この様に非常に冷淡な反応であった。
この様な民族対立は6年後のユーゴスラビア内戦への下地となり、アルバニア人VSセルビア人はクロアチア人までも加わり、バルカン史上最悪の紛争を巻き起こす。
ほんとひで
>>バルカン史上最悪の紛争を巻き起こす
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ヤセノヴァツは、ナチス傀儡政権クロアチア独立国を支配していたウスタシャが建設したセルビア人、ロマ人、ユダヤ人、反体制派クロアチア人、クロアチア人共産党員などを虐殺していた絶滅収容所の事です。ヤセノヴァツで、セルビア人の衛生管理などを担当していたクロアチア人医師ニコラ、ニコリッチの回想録によるとヤセノヴァツでは主に50通り程の虐殺方法が存在したといいます。カービン銃、機関銃、鶴嘴、鉈、ナイフ、斧、鉞、などの道具を使用し惨たらしく虐殺していきました。有名な虐殺方法はセルビア人カッターという特殊なナイフでの頸動脈の切断、斧、鉞、ナイフなどでの頭部の切断、ナチス親衛隊長ヒムラーが吐瀉し気絶したというセルビア人などを生きたまま精肉機に入れミンチにする人間ハンバーグと言われた見せしめの虐殺方法が存在したといいます。セルビア人を生きたまま焼却炉に詰め込み焼殺す方法も存在しました。ウスタシャはセルビア等に苦痛を与えながら惨殺するのを好みました。ヤセノヴァツでは強制労働等も行われ金歯をつめているセルビア人等がいたらその場で虐殺し、金歯を抜き取り遺体をサヴァ川に投棄しました。初期のヤセノヴァツでの死体処理方法は焼却炉による焼却が行われましたが、ヤセノヴァツ付近に強烈な死臭が漂い、虐殺情報が、外部に漏洩してしまうことを恐れたウスタシャはドーニャグラディナ地区に墓地を作り、埋葬していきました。1961年11月に発掘調査が行われましたが、わずか十分の一程度を発掘した所5万8000程の頭蓋骨が発見され、当局は驚愕し急遽発掘中止と成ってしまいました。ヤセノヴァツでは正確な数値は分かりませんが、100万人が虐殺されてしまいました。ウスタシャの虐殺はナチスからも危険視されウスタシャは再三残虐行為禁止等の注意を受けたましたが無視しww2後まで残虐行為を続けました、
ヤセノヴァツ絶滅収容所はナチスではなくてウスタシャだぞ