かつて甲子園を大いに沸かせた最強集団「あかつきナイン」…
甲子園常連校であるあかつき大付の歴代最高世代を牽引した彼らが高校を卒業してから10年が経った。
当記事ではあかつきナインの「今」を独自に取材した。別々の道を歩んだ彼らの道のりに想いを馳せてほしい。
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【プロの世界で躍動する4人】
あかつきナインのうち実に4人がプロ野球の道へ進んだ。
今や球界の至宝であるパワプロ(当時8番サード)は育成2位で阪神へ入団すると1年目から.356 51 134の成績で最優秀選手、三冠王、新人王などのタイトルを総ナメ。10年で通算.345 512本塁打 1254打点を記録し、既に生ける伝説となりつつある。
一ノ瀬(当時6番ピッチャー)、二宮(当時3番キャッチャー)は共にドラフト1位でヤクルトへ入団。
一ノ瀬は先発と中継ぎの二刀流で100勝100Hを達成、二宮は今でこそ出井田にスタメンの座を譲っているが、3年目で首位打者を獲得するなど強打の捕手として名を馳せていた。
六本木(当時9番ショート)は高校卒業後渡米して持病である心臓病の手術に挑んだ。
完治してからもアメリカに残りレッズ傘下、カブス傘下でプレー。今年のドラフトで中日に4位指名されるも指名を拒否してエンゼルス傘下へ入団した。
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【獣医師から居酒屋店長まで…野球に別れを告げた5人】
あかつきナインの副主将であった四条(当時2番セカンド)は加計学園大学獣医学部へ進学、卒業後は開業を目標に地方の動物病院に勤務している。
クリーンナップを打った三本松(当時4番ファースト)、七井(当時5番レフト)は共に首都体育大学にスポーツ推薦で進学。卒業後は体育教員免許を取得し、別々の学校で生徒を指導しているそうだ。
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リードオフマン八嶋(当時1番センター)はパワフル大学に一般受験で入学して陸上の道へ。100m走でインターカレッジに出場した。卒業後は新聞記者となり全国を飛び回っている。
九十九(当時7番ライト)は近代学院大学に進学。中日に所属する阿畑と共にプロ志望届を提出するも声がかからず、居酒屋チェーンに就職。2年前に独立してつくね専門店「つくものつくね」を開業したが1ヶ月で廃業、現在は行方知れずとなっている。
時代を彩ったあかつきナイン、別々の道を歩めども、共に掴んだ甲子園優勝の栄光は色あせることはないだろう。
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