彡(゚)(゚)「ひえーってなる戦闘紹介していくで」
彡(゚)(゚)「なおワイは歴史全然知らんから間違ってたらすまんやで」
彡(゚)(゚)「あかん!このままずるずる戦ったらおわりや!」
彡(^)(^)「せや!フィリピンで大決戦したろ!」
>>3
これか
大虚報が更なる悲劇を生み出した台湾沖航空戦
台湾沖航空戦での日本航空部隊の最大の戦果はアメリカ軍の巡洋艦2隻を大破させたことだった。
沈めた艦は一隻もなかった。ほかにも被害を受けた艦はあったが、大部分は「かすり傷」程度である。
一方で日本の航空部隊はこの航空戦で大打撃を受け、このあと立ち直ることができなかった。
この航空戦で日本軍の航空部隊が消耗し尽くしてしまったために、
この台湾沖航空戦につづいて10月22日から展開されたフィリピン沖海戦(レイテ沖海戦)では、
日本海軍は十分な航空機の援護を得られず、主力戦艦「武蔵」や歴戦の空母「瑞鶴」・「瑞鳳」・「千歳」・「千代田」、
重巡洋艦「鳥海」・「鈴谷」・「筑摩」などを空襲で失って惨敗した。
また、このフィリピン沖海戦で、航空攻撃力の弱体を補うための最後の手段として、
体当たり攻撃、つまり「特攻」が組織的に採用された。いわゆる「神風特攻隊」の始まりである。
もし台湾沖航空戦で航空兵力が壊滅せず、そのぶんの航空兵力をフィリピン沖海戦に投入できていれば、
勝てなかったにしてももう少しましな戦いができていたはずだ。
しかしこの台湾沖航空戦は日本国内では大戦果を挙げたと報道された。
一時は敵アメリカの空母を11隻撃沈、8隻撃破したと報道されたようだ。
巡洋艦2隻撃破という実際の戦果とあまりに開きがありすぎる。
大本営海軍部によって大戦果が誤認であったと再判定された事実は、
20日に開かれたフィリピン決戦に向けた陸海軍合同の作戦会議においても陸軍側に伝達されなかった。
陸軍は誤認戦果と知らないままルソン島での迎撃方針を、「レイテ島の決戦」に大きく戦略を変更し、決戦兵力をレイテ島へ増派した。
しかし、(壊滅したはずの)アメリカ機動部隊などの空襲を受け、
第1師団だけは、航空援護もあって無事に上陸することができたものの、
そのほかの第26師団や第68旅団などはいずれも装備、物資の過半が海へ沈み、
懸命に積み上げてきたフィリピン決戦準備は水の泡となった。
さらに、ルソン島の兵力が引き抜かれた穴を補うため、台湾から第10師団をルソン島へ投入、
玉突きで沖縄から第9師団を台湾へ移動させた。こうして結果的に沖縄戦での戦力不足の原因ともなった。
その意味で台湾沖航空戦は帝国陸海軍の命運を決した戦いだったといえる。
出典
http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/review/rv0402.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%B2%E8%AA%E7%A9%BA%E6%A6
1944~1945 フィリピンの戦い
劣勢の日本が陸海軍の総力を挙げて挑んだ戦い。
日本側の作戦名は捷号作戦。
南方資源地帯の要であるフィリピンをめぐり日米両軍二百万以上の将兵が投入された、太平洋戦争最大規模の戦闘。
陸海軍の連携がまるで機能せず、海軍のお粗末な誇大戦果を陸軍が信じるなど、グダグダな作戦指導が破滅を招き、
結果は日本側の大惨敗。
連合艦隊は壊滅、陸兵は四十万人以上が戦死するなど、事実上日本の継戦能力にとどめをさした。
40万人とかこマ?(アカン)
大本営の瀬島龍三が台湾沖航空戦の戦果が怪しいという報告を握りつぶした説もある
こいつは屑やな
ソ連に寝返った説もあるし
原爆投下は悲惨だよな
インパールは死に方がね
ガダルカナル島の戦いもね…
彡(゚)(゚)「ヤバいンゴ…このままだと圧倒的物量で押しつぶされるンゴ…」
彡(^)(^)「せや!防衛拠点を要塞すればええんや!撤退せずに全滅するまで戦えば、膨大な出血を強要できるンゴ!」
海軍大本営「空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻撃沈!空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦1隻、艦種不詳13隻撃破!」
陸軍大本営「レイテ島で決戦や!」
米海軍(巡洋艦2隻撃破されただけで大して痛くないんやが…)
海軍現場「偵察したところ撃破したはずの敵機動部隊が健在なんですけど…」
陸軍現場「いくらなんでも戦果盛りすぎじゃね?」
海軍大本営「は?この大戦果を信じないのか?非国民め!」
海軍現場「」
陸軍現場「」
人肉が平然と売られていた模様
1944年 バグラチオン作戦
ヒトラーご自慢の要塞都市戦術が完全に粉砕された戦い。
ソ連軍は要塞都市を迂回してガンガン前進したので、要塞都市はまるで機能せず足止めにもならなかった。
それどころか、要塞都市に張り付いていたドイツ軍は逃げる間もなく包囲され、一方的に殲滅された。
47人の将軍のうち32人が捕虜、戦死、行方不明になり、東部戦線を支えてきた統帥部が一瞬で消滅した。
捕虜達に開城後の鳥取城の城兵にやった事と同じ事をしたという
おは無能
人は歴史から学ぶ事は人が歴史から学ばないという事だけです
うーん名言やなコレは
1941年 オデッサの戦い
ウクライナの港湾都市オデッサをめぐるルーマニア軍とソ連独立沿海守備軍の戦い
独ソ戦に参加したルーマニア軍はオデッサの攻略を任せられるも大苦戦。
十万人近い死傷者を出してもオデッサを攻め落とせず、結局ドイツ第十一軍の支援でなんとか落とした。
しかし、ソ連軍守備隊は陥落前にセヴァストポリ要塞に脱出しており、大きな戦果はあげられなかった。
オデッサ入城後、ルーマニア軍は倉庫に市民を閉じ込めて焼き殺したり、機関銃で片っ端から射殺したりと、大規模な虐殺を行い、わずか二日で十万人の市民が殺された。
1日五万人は凄い
打線にしたらどうや?
はえーこんな大虐殺あったんか
>>48
あまり知られてないルーマニアの黒歴史やね
ちなみに虐殺にはドイツのアインザッツグルッペンも参加しとるで
1942年 ディエップの戦い
イギリス・カナダ連合軍による大陸への上陸作戦。
暇を持て余すカナダ軍に仕事を与えるぐらいの軽い目的で実施されたが、
レジスタンス経由で情報がドイツ軍に漏れており、上陸地点で完全武装の装甲師団に待ち伏せされ一方的に虐殺されることに。
一方でディエップ作戦の失敗は多くの教訓をもたらし、後のノルマンディー上陸作戦ではその教訓がおおいにいかされた
またヒトラーが過敏に反応し、二十個師団を東部戦線から引き抜くなど、戦略的な効果は大きかった。
これが本当の「こっちくんな」だよね
なお来る模様
1943年 ドニエプル攻防戦(ウクライナ解放戦)
ウクライナ奪還を目指すソ連軍とふみとどまろうとするドイツ軍の戦闘。
ソ連はこの戦線に全戦力の六割を割き、名将ジューコフが全ての作戦を取り仕切った。
対するドイツ軍はヒトラーの度重なる介入で名将マンシュタインが真価を発揮出来ず、戦力の集中にも失敗。
四か月にわたる激戦の末、ソ連軍はドニエプル河を渡り、祖国奪還への道を切り開いた。
両軍あわせて最低でも250万人以上が死傷、独ソ戦の中で最も多くの犠牲者がでた。
とくにドイツ軍は開戦以来、最悪の被害を受け、この損失かた立ち直ることは二度となかった。
1941年ラセイニャの戦い
独ソ戦序盤の大戦車戦。
決戦を計画したソ連軍に対してドイツ軍装甲師団は決戦を避けて迂回。
ソ連軍はドイツ軍に機動に翻弄され、右往左往しているうちに燃料切れで戦闘不能に。
KV1やT34などの高性能戦車を配備していたにも関わらず、ソ連軍機甲部隊は一戦もせずに壊滅した。
1945年 ?江作戦
中国のインパールと呼ばれる戦い。
大陸打通作戦の後も連合軍の航空基地は健在であり、日本陸軍は飛行場を叩くため攻勢を開始。
しかし、中国軍は万全の準備で待ち伏せており、日本軍は三万人以上の死傷者を出して敗退した。
制空権も失い、兵站も確保出来ずに決行された無謀な作戦だったので、従軍した将兵からは中国のインパールと揶揄された。
44年とか完全に無駄やろ
あっちはどちらかといえば戦略や戦術的に参考書的な立ち位置にあるからなぁ
悲惨ではあるが
1944年 ペツァモ=キルケネス作戦
フィンランドの降伏後、北極圏から撤退を図るドイツ軍を阻止するためにソ連軍が実施した作戦。
厳寒期の北極圏での戦闘は難航を極め、両軍ともに凍死者が続出。
戦車も装甲車もすぐに動かなくなり、機械よりもトナカイや犬が活躍した。
結局ドイツ軍は撤退に成功したが、ドイツ経済を支える鉄鉱石の供給源を失うことになった。
だってすぐ降伏してるし・・・
ヴォー・グエン・ザップ「アハハ!」
1945年 ソ連対日参戦
北部、東部に要塞を集中させていた関東軍は、戦車の走行が不可能と思われていた西部山岳地帯からソ連軍機甲部隊の奇襲を受けた。
アルデンヌから奇襲を受けたフランス軍のように関東軍は総崩れとなり、敗走。
要塞で防ぐ間に朝鮮へ撤退するという構想は一瞬で瓦解することに。
結果、関東軍は秩序だった後退を行えず、居留民を保護する余裕もなかったため、後世で叩かれることになった。
また肝心の要塞もほとんどがソ連軍に無視されたので、役にたたなかった。
よく人類滅んでねえな
そんな死んでるんか
全員幽霊なったらえらいことなるな
民間人とかそういうの含めると最大でそんくらいじゃねっていう
ソ連に至っては明らかに人工比率狂って崩壊しかけたし
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