(´・ω・`)「お兄ちゃん、パソコン2台も並べて何見てるの?」
彡(゚)(゚)#「今ええとこなんや話しかけんなや!」
(´・ω・`)「えぇ…教えてよ」
彡(゚)(゚)「ちっ、ニコ生とAbemaTVや」
(´・ω・`)「媒体じゃ無くて内容を答えろよ馬鹿か?」
彡(゚)(゚)「…」
(´^ω^`)「…」
彡(゚)(゚)と学ぶ名人の歴史
せやで
彡(゚)(゚)「せやで」
(´・ω・`)「あ~羽生さんだ~。これなんの棋戦なの?」
彡(゚)(゚)「名人戦やで」
(´・ω・`)「あっ…(察し)」
(´・ω・`)「やっぱり名人ってすごいの?」
彡(゚)(゚)「当たり前やカス」
彡(゚)(゚)「いままで名人になったのは26人しかおらんからな」
(´・ω・`)「はえ~少ない…の?…そもそも名人っていつからいるの?」
彡(゚)(゚)「いつからやと思う?」
(´・ω・`)「質問に質問で返すなよ馬鹿か?(分かんない、教えてお兄ちゃん)」
彡(゚)(゚)「…」
(´ ; ω (# )「長ァイ!」
(´ ・ω (# )「400年前って言ったら江戸時代?」
彡(゚)(゚)「せや、j民の元祖と言われる脱糞公徳川家康が1612年に本因坊算砂に碁将棋所の連絡係として俸禄を与えたのがその起源やで」
(´・ω・`)「俸禄は給料みたいなもんだよね。でも連絡係って?小学生かなにか?」
彡(゚)(゚)「囲碁打ちと将棋指しの最高位の呼称や」
(´・ω・`)「ほーん」
成仏定期
おは升田
彡(゚)(゚)「同じ年に本因坊算砂が初代大橋宗桂に将棋所を譲ってからがほんとの将棋の名人の始まりやな」
(´・ω・`)「最初は囲碁と将棋が一緒だったんだね」
彡(゚)(゚)「そこから約320年間、世襲制での名人制度が続くんや」
(´・ω・`)「へー」
一世名人 初代 大橋宗桂
二世名人 二代目 大橋宗古
三世名人 初代 伊藤宗看
四世名人 五代目 大橋宗桂
五世名人 二代目 伊藤宗印
六世名人 三代目 大橋宗与
七世名人 三代目 伊藤宗看
八世名人 九代目 大橋宗桂
九世名人 六代目 大橋宗英
十世名人 六代目 伊藤宗看
十一世名人 八代目 伊藤宗印
十二世名人 小野五平
十三世名人 関根金次郎
(´・ω・`)「ヒエ~なっが…」
彡(゚)(゚)「かいつまんで説明するから神妙に聞くんやで」
(´・ω・`)「はいはい」
封建制の時代は大体世襲制のイメージやね
華道は池坊専慶しか知らんけど
しとるから安心してクレメンス
彡(゚)(゚)「一説には桂馬の使い方が巧いってことでノッブから宗桂を名乗ったらどうや?と言われてこの名前にしたと言われてるんや」
(´・ω・`)「へー織田信長とも盤を挟んだんだ」
彡(゚)(゚)「ヒッデとも指してるし、碁も打ってるみたいやで」
(´・ω・`)「はえ~すっごいビッグネーム」
(´・ω・`)「うんうん、それで家元制と」
(´・ω・`)「振り駒?」
彡(゚)(゚)「歩を5枚シャカシャカ振って先手後手を決めるんや」
彡(゚)(゚)「昔は強い奴が駒を落とすか後手になるかって感じやったんや」
(´・ω・`)「ふーん」
あると思います
(´・ω・`)「ま、多少はね?」
彡(゚)(゚)「次の七世名人三代目伊藤宗看は本人よりも弟が有名っちゃ有名やな」
(´・ω・`)「誰だよ」
彡(゚)(゚)「詰将棋の大家、伊藤看寿や」
(´・ω・`)「?」
彡(゚)(゚)「まあ知らんか、この時代の名人は詰将棋を100個ほど集めた詰将棋集を作って将軍に献上するっていう慣習があるんや」
(´・ω・`)「なんかめんどくさそうな慣習だね」
(´・ω・`)「え?弟は名人じゃないよね?」
彡(゚)(゚)「せや、でも詰将棋集つくったんやから仕方ないやろ」
(´・ω・`)「うーんこの」
彡(゚)(゚)「看寿の作品に比肩しうる技術、手数の詰将棋は19世紀半ばまで存在しなかったんやで。現在ではその偉大さを讃えてその名を冠した看寿賞なるものが優れた詰将棋に対して贈られるんや」
(´・ω・`)「めっちゃ早口で言ってそう」
彡(-)(-)「…我ながら熱くなり過ぎたわ」
彡(゚)(゚)「とにかく、指し将棋とはまた違った魅力を持つ詰将棋の原点にして頂点とも言っていい人物が伊藤看寿なんや」
(´・ω・`)「そんな凄い人でも名人にはなれなかったんだね」
彡(゚)(゚)「死後に贈名人が与えられたけどな。現役時代の指し将棋の評価はあまり高くなかったみたいや」
(´・ω・`)「いや弟の方しか話してないやん!」
彡(゚)(゚)「八世名人は九代目大橋宗桂や。時の将軍徳川家治が将棋好きなこともあって御城将棋だけじゃなく『御好』と呼ばれる対局も増えていくんや」
(´・ω・`)「まず御城将棋ってなに?」
彡(゚)(゚)「おっとワイとしたことが大事なことを説明し忘れてたわ」
(´・ω・`)「説明して、どうぞ」
(´・ω・`)「当時の公式戦ってわけだね?」
彡(゚)(゚)「そんなとこや」
彡(゚)(゚)「ちなみに11月17日に行われてたからその日は現在では『将棋の日』になってるで」
(´・ω・`)「8月1日とか安易な日付じゃないんだね」
(´・ω・`)「将軍様は相当将棋に飢えてたんだね…」
彡(゚)(゚)「そうなんやろな…」
彡(゚)(゚)「話を戻すで」
彡(゚)(゚)「九代宗桂の残した棋譜には横歩取り△4五角戦法や美濃囲い、ひねり飛車といった現代将棋でもまま見られる戦型が採用されてるんや」
(´・ω・`)「はえ~時代が進んでるね」
彡(゚)(゚)「この人はその次に名人を名乗った九世名人六代目大橋宗英に次ぐ実力者として名高いんや」
(´・ω・`)「その九世名人様はどのくらい強いの?」
彡(゚)(゚)「11人おる家元制の名人の中では最強、といわれるくらいや」
(´・ω・`)「ふーん」
彡(゚)(゚)「この六代宗英と九代宗桂が寛政2年に指した御城将棋は『稀世の名局』として語り継がれてるんや」
(´・ω・`)「へえーその時代の棋譜が残ってるんだね」
彡(゚)(゚)「ちなみに六代宗英は将軍に上梓する詰将棋の作品集である献上図式を廃止したんや」
(´・ω・`)「ふーん…詰将棋、意味ないです」
彡(゚)(゚)「あっ…」
彡(゚)(゚)「この六代宗看も家元制の名人の中では五指に入るほどの実力者でな、荒指しと呼ばれるほど豪快な攻めの棋風やったみたいやで」
(´・ω・`)「この時代になってくるとみんな強いんだね」
彡(゚)(゚)「せやな。余談やがこの時代には御三家じゃなかったばっかりに名人就位を許されなかったが、後世に語り継がれるほどの名棋士が2人ほどおるんや」
(´・ω・`)「お、誰?」
彡(゚)(゚)「大橋柳雪、そして天野宗歩や」
(´・ω・`)「天野宗歩?聞いたことあるような」
(´・ω・`)「はえ~。棋聖ってタイトルの棋聖?」
彡(゚)(゚)「元々は天野宗歩に与えられた称号や。そこからとってタイトルにしたんや」
(´・ω・`)「ふーん」
彡(゚)(゚)「そして大橋柳雪は天野宗歩の師にあたる人や。一度大橋分家の養子になるも耳を患い離縁され、名人に伍する力を持ちながらも名人になれなかったんや」
(´・ω・`)「かわいそう(小並感)」
彡(゚)(゚)「家元制名人最強と名高い六代宗英に続いて大橋柳雪、天野宗歩も現代将棋に通ずる定跡や将棋観の礎を築いた2人なんや」
(´・ω・`)「まさに卓犖不羈の天才ってわけだね」
(´・ω・`)「やぐら(笑)なにが強いの?時代は雁木だよ」
雁木使って矢倉に負けてましたね
前田五段のことはあんまりいじらないであげて
増田定期
(´・ω・`)「最後の家元制名人、ってことはこの辺りで江戸幕府が衰退したんだね」
彡(゚)(゚)「せや。幕府の衰退に伴って俸禄も無くなり御前将棋も無くなってしまったんや。そんな暗黒期にある将棋界を盛り上げるために尽力したのがこの人や」
(´・ω・`)「世襲制の最後の方の人なんてポンコツばっかりなイメージだけどこの人はちゃんとしてそうだね」
彡(゚)(゚)「小野五平や大矢東吉といった他の強豪棋士らに協力を呼びかけて『百番出版校合会』を組織し将棋界の再興を図ったんや」
彡(゚)(゚)「この頃の将棋界は名人位や段位を巡るいざこざが多くてとても組織として纏まってる状態とは言い難かったようや」
(´・ω・`)「へー…」
彡(゚)(゚)「そして1893年に八代宗印が死去。家元制の名人はこれまでってわけやな」
(´・ω・`)「でも世襲制?の名人制度はまだ続くんでしょ?」
彡(゚)(゚)「あと少しだけな」
彡(゚)(゚)「将棋の実力もさることながら政治力も中々のものやったんやろな、福沢諭吉や森有礼といった後援者を取り込み『小野五平会』なるものを組織したそうや」
(´・ω・`)「諭吉って万札の人じゃん」
彡(゚)(゚)「そういった後ろ盾もあって小野五平は名人位に就いたってわけやな」
草
(´・ω・`)「ほう」
彡(゚)(゚)「名人襲名の披露宴にも招待されずに納得いかん、自分と将棋を指せと突っかかっていったんやがこれに対して小野は私が死んだ後に貴方が名人になればいいと諭した。そこで和解はしたんやけど…」
(´・ω・`)「けど?」
彡(゚)(゚)「名人就位の時に齢67だった小野はなんと91歳まで生きるんや」
(´・ω・`)「すっごい長生きしたんだね」
彡(゚)(゚)「関根はあと数年我慢すれば名人になれると思ったろうにこんなに長生きされたらたまったもんやないやろな。まあこの出来事がきっかけで後の将棋界に大きな変革をもたらすんやけどな…」
(´・ω・`)「おいおいもったいぶるねぇ」
(´・ω・`)「ほうほう!早く教えてよ!」
彡(゚)(゚)「まあまず順にその生涯を追っていこうや」
(´・ω・`)「さっき説明したお師匠さんだね」
彡(゚)(゚)「そして四段のときに天野宗歩の弟子の1人、関西で無類の強さを誇った小林東伯斎との角落ち対局で破れたことをきっかけに、将棋の研鑽を積むために全国を遊歴するんや」
(´・ω・`)「…なんかもう漫画じゃん」
彡(゚)(゚)「何度も死の淵に立たされながらも将棋遊歴を終え再び小林と対局、そして今度は見事勝利を収めるんや」
(´・ω・`)「漫画じゃん」
彡(゚)(゚)「そして小野五平が名人に就位した後、関根は『将棋同盟社』を設立し多くの後進の育成に励んだんや」
(´・ω・`)「阪田三吉…聞いたことある!」
彡(゚)(゚)「関西名人と呼ばれた小林東伯斎の弟子の1人で当時の関西では最強の棋士と言っても過言ではないやろな」
(´・ω・`)「へー」
彡(゚)(゚)「そしてその後も関根に倣い井上義雄、土居市太郎、大崎熊雄といったトップ棋士が将棋棋士を擁する団体を立ち上げていくんや」
(´・ω・`)「将棋界も賑やかになってきたね」
彡(゚)(゚)「この頃は新聞社や政財界に多くの後援者がいたみたいやからな」
(´・ω・`)「ついに!」
彡(゚)(゚)「関根が名人位に就いた3年後にはプロ棋士を擁する三つの団体を統一し、現在の日本将棋連盟の前身となる『東京将棋連盟』を結成したんや」
(´・ω・`)「それで『近代将棋の父』ってわけだね」
彡(゚)(゚)「それだけやないで」
彡(゚)(゚)「同年3月26日に当時の将棋連盟会長、今易二郎が「三百年伝統の一世名人の制を廃す」と宣して実力制の第1期名人戦が始まるわけや」
(´・ω・`)「じゃあこの時から今の形のタイトル戦形式の名人戦になったってわけだ!」
彡(゚)(゚)「その通りや。将棋連盟、そして名人戦の生みの親がこの関根金次郎十三世名人ってわけや」
(´・ω・`)「そいつぁすげえや」
将棋界の何十手先を見据えんとできん英断やでほんま
(´・ω・`)「いきなり?」
彡(゚)(゚)「関根十三世名人が東京の棋士をまとめ上げ東京将棋連盟を結成したものの、阪田三吉をはじめとする関西の棋士とはまだ溝があったんや」
彡(゚)(゚)「第1期名人戦は八段の棋士によるリーグ戦の形式をとってたんや。そこに参加できるように大阪朝日新聞が支援していた関西のプロ棋士団体『十一日会』の中心である神田辰之助七段を八段に昇段させようしたのがことの始まりやな」
彡(゚)(゚)「それに反発した東京の七段の棋士7人全員と対局が組まれたんや」
(´・ω・`)「文句があるならかかってこいと」
(´・ω・`)「ありゃ、負けちゃったのか」
彡(゚)(゚)「そこでは八段昇段は見送られるんやけど、なんと翌年には神田が東京の八段勢相手に8戦全勝するわけや」
(´・ω・`)「ファッ!?」
彡(゚)(゚)「七段戦と合わせても11勝4敗の成績や。大阪朝日はこれなら八段昇段を許してくれるやろと思ったが連盟側はそんな約束をした覚えはないとはねのけるんや」
(´・ω・`)「えぇ…」
(´・ω・`)「内部崩壊しちゃってるじゃん」
彡(゚)(゚)「連盟は脱退した棋士を除名処分にして名人戦のリーグを続けようとしたものの、八段の有力棋士がいなくなった名人戦に意味があるのかといった声も当然挙がったわけやな」
彡(゚)(゚)「関根はこの一件に頭を悩ませ、すでに棋界を退いていた、かつて次期名人に推挙されたこともある兄弟子の小菅剣之助に仲裁を頼むんや」
(´・ω・`)「紆余曲折あったけどやっと将棋界がまとまったんだね」
彡(゚)(゚)「…ただな、まだ1人だけ『将棋大成会』に戻らんかった人がおるんや」
(´・ω・`)「誰?」
彡(゚)(゚)「阪田三吉や」
(´・ω・`)「そうなの?」
彡(-)(-)「そもそも連盟を追放された原因から話そか」
彡(゚)(゚)「阪田の師匠である小林東伯斎は関西名人を名乗ってたんやけど、当時の連盟は阪田のそれを名人僭称として連盟を追放したんや」
(´・ω・`)「まあ名人がいっぱいいたら連盟も困るもんね」
彡(゚)(゚)「そしてそのうち阪田の後援者の多くも神田八段に鞍替えし出すんや」
(´・ω・`)「乗り換え的な?」
彡(゚)(゚)「まあ、乗り換えやな。結局阪田が自分から話をつけて将棋大成会に戻るのは1937年、神田事件が解決し将棋大成会が設立された翌年や」
(´・ω・`)「関西では最強の棋士の1人だったんだよね?もっとスターとして扱われてもおかしくないよね?」
彡(-)(-)「せやな…」
彡(゚)(゚)「もちろん今でもスポンサーのほとんどは新聞社やし、現在の日本将棋連盟も公益社団法人として日本の文化に貢献しとる」
彡(゚)(゚)「この時代の棋士達の尽力無くして今の将棋界は無かったも同然なんや」
彡(゚)(゚)「ただな、生い立ちが貧しく、「三」「吉」「馬」の三字しか書けんかったような不器用な阪田からしてみれば、政治的なものはただの不純物でしかなかったんやろなぁ」
(´・ω・`)「…」
彡(゚)(゚)「勿論本人がどう思ってたのかは分からんし、勝手な想像にすぎんけどな」
(´・ω・`)「まあ僕はよく分かんないけど、時代が違ったらもっと対局に集中して栄光を成し遂げられたのかもね」
彡(゚)(゚)「この対局は将棋ファンにはよく知られていて、どちらの対局も阪田は後手を持って94歩と突くんや」
彡(゚)(゚)「後手番でさらに手損をするこの手は東京の棋士に対する阪田の反骨精神ともとれるし、当時の将棋界に対する暗黙の抗言とも考えられないやろか」
(´・ω・`)「いやそれは考えすぎじゃない?」
彡(゚)(゚)「そうか?」
彡(゚)(゚)「将棋に集中できる環境があることの有難さを伝えたかったんや。それに阪田は没後に連盟から贈名人の称号が与えられてるんやで」
(´・ω・`)「なるほどね」
彡(゚)(゚)「今は順位戦A級リーグの優勝者が名人に挑戦する形やけどは最初は順位戦なんてもんはなかったんや」
(´・ω・`)「あ、そうなの?」
彡(゚)(゚)「順位戦ができるまでは2年かけて名人挑戦者を決めてたんや」
(´・ω・`)「それは長いね」
彡(゚)(゚)「最初の実力制名人を決める戦いは八段の棋士9人が参加する特別リーグと呼ばれる総当たり戦とその他の棋戦とでの勝敗によるポイント制やったんや」
(´・ω・`)「八段って9人しかいなかったんだね」
彡(゚)(゚)「昔は名人を九段として八段で準名人と呼ばれてたからな」
彡(゚)(゚)「ちなみその9人は関根名人が誕生した時代に最強を誇った土居市太郎、『将棋研究会』を設立した大崎熊雄、『将棋大成会』の初代会長のとなった金易二郎、『将棋連盟』大阪市部長の木見金次郎」
彡(゚)(゚)「そして『将棋革新協会』の会長であった花田長太郎、弱冠22歳にして実力で八段まで上り詰めた木村義雄、土居門下の金子金五郎に神田事件以後に八段を認められた神田辰之助と萩原淳や」
彡(゚)(゚)「そして特別リーグで1位になった木村は2位の花田に8.1ポイント差をつけ、本来行うはずの六番勝負を行うことなく初代実力制名人の座に就いたんや」
(´・ω・`)「なんかあっさりだね」
彡(゚)(゚)「ほとんどの八段が指し盛りを過ぎてたからやろなぁ」
(´・ω・`)「どんな棋士も衰えには勝てないんだね…」
彡(゚)(゚)「今度はより若手である七段からも、リーグの優勝者である1人が名人挑戦権争いに参加できるようになったんや」
(´・ω・`)「やっぱり若い人も参加させなきゃね」
彡(゚)(゚)「さらにこの期だけ阪田が八段格としてリーグに参加したんや」
(´・ω・`)「そういえばこの頃に仲直りしてたね」
(´・ω・`)「衰えてないやん!」
彡(゚)(゚)「まあ4勝1敗で木村名人が防衛するんやけどな」
(´・ω・`)「強い(確信)」
彡(゚)(゚)「ちなみにこの時の番勝負の持ち時間はなんと1人15時間の3日制だったんや」
(´・ω・`)「ファッ!?たしか今は長くても2日だよね。それと比べたら随分長いね」
彡(゚)(゚)「定跡が今ほど整備されてない時代やからちゃうか?知らんけど」
木村阪田の南禅寺の決戦は持ち時間30時間で7日間らしいで
七日も何すんねん(無知)
ひたすらバナナもぐもぐやろ
彡(゚)(゚)「今度は八段の棋士10名に五段から七段の棋士による予選の通過者2名を加えて計12名での挑戦権争奪戦や」
(´・ω・`)「五段の人にもチャンスあったんだね」
彡(゚)(゚)「今はA級になったら自動的に八段やからな。七段以下が挑戦者争いに加われるのは制度的に不可能やな」
彡(゚)(゚)「12人を3つのリーグに分けてそれぞれで1位の3人に2位同士の敗者復活リーグを勝ち抜いた1人を加えた計4人で挑戦者決定リーグを行ったんや」
(´・ω・`)「なんかこの頃は毎期ごとに決め方が違うんだね」
彡(゚)(゚)「試行錯誤してたんかなぁ」
彡(゚)(゚)「最終的には神田八段が名人に挑戦、しかし木村名人の4連勝で防衛や」
(´・ω・`)「名人は向かう所敵なしって感じだね」
彡(゚)(゚)「まずは八段12名に七段以下の予選通過者4名を加えた16名でトーナメントを実施、優勝者がそのまま名人挑戦権を得るわけじゃなく名人挑戦に相応しいかどうか名人と半香落ちの手合いで三番勝負を行うんや。それを4回繰り返して名人挑戦者が複数出た場合はプレーオフ、って形や」
(´・ω・`;)「複雑だね…ていうか名人戦やるまえに名人と戦っちゃうんだ」
(´・ω・`)「それに半香落ちってなに?」
彡(゚)(゚)「強い人と対局するときは駒を落としたりするやろ?半香落ちは平手と香落ちを1セットと考えるんや。今はプロ同士の公式戦は全部平手戦やからけっこう珍しいで」
(´・ω・`)「これもうわかんねぇな…で、結局挑戦者は誰になったの?」
彡(゚)(゚)「萩原淳、大野源一、花田長太郎、坂口允彦の4人が予備資格者として三番勝負を行ったけど全員負けや」
(´・ω・`)「こマ?強すぎる」
彡(゚)(゚)「この頃の木村は『常勝将軍』なんて呼ばれるくらい強かったみたいや。結局名人戦を行うことなく木村名人防衛や」
(´・ω・`)「あぁ戦争かぁ…」
1994年に戦争してたんか….
やってしまいましたなあ
1994年→1944年や
(´・ω・`)「順位戦って戦後からできたんだ」
彡(゚)(゚)「そしてA級順位戦で塚田正夫、大野、萩原の3人が同率首位になりプレーオフが行われたんや。最終的には塚田が名人に挑戦、4勝2敗2千日手1持将棋の熱戦を制した塚田が木村名人から名人位を奪取したんや」
(´・ω・`)「やっと2人目の実力制名人誕生だね」
彡(゚)(゚)「塚田八段は詰将棋の大家でもあり、唯一『名誉十段』の称号を持っとる棋士や」
(´・ω・`)「名誉十段って字面がかっこいいね」
(´・ω・`)「ん?今はどうなんだっけ?」
彡(゚)(゚)「今は9時間の2日制やな。竜王戦と王将戦、王位戦が8時間の2日制やで」
(´・ω・`)「パラマス式トーナメントって階段みたいになってるやつだよね」
彡(゚)(゚)「せや。今でもA級で同率首位の人がいた場合はこのパラマス式トーナメントで挑戦者を決めてるで」
彡(゚)(゚)「この時は大山康晴が七段でB級優勝、そこからのA級上位3人を破って挑戦してるんや。そのうちの最後の相手は大山の終生のライバルである升田幸三や」
(´・ω・`)「新手一生の人だっけ」
彡(゚)(゚)「独創的な序盤戦術を次々に産み出し将棋の寿命を300年縮めたと言われる棋士やな」
彡(゚)(゚)「この挑戦者決定戦三番勝負の第3局は『高野山の決戦』と名がつく名局なんやが、勝勢の升田が悪手を指して頓死、「錯覚いけない、よく見るよろし」と有名な言葉を残したとの逸話が残っとるで」
(´・ω・`)「どんなに強い棋士でも錯覚はあるからね、衰えたとか言ってはいけない(戒め)」
彡(゚)(゚)「ほんこれ。そして升田との三番勝負を制した大山がB級七段で名人に挑戦、七段での名人挑戦はこれが唯一の記録や」
(´・ω・`)「今はA級になると自動で八段だったよね」
彡(゚)(゚)「せや。そして番勝負は塚田名人が4勝2敗で防衛や」
(´・ω・`)「大名人大山でも最初っから名人は取れなかったんだね」
(´・ω・`)「あれ、3勝で奪取って五番勝負じゃん!」
彡(゚)(゚)「まだ戦後やしなんか事情があったんやろ」
彡(゚)(゚)「この番勝負の第5局は皇居内にあった剣道場、済寧館で執り行われたんや。この対局も『済寧館の決戦』と名のつく名局で坂口安吾の小説『勝負師』ではこの対局について描写されているんや」
(´・ω・`)「へー」
(´・ω・`)「完全復活だね」
彡(゚)(゚)「ちなみに第9期には持ち時間が10時間の2日制に、第10期には挑戦者はA級順位戦の優勝者が、という風なルールの改訂がなされたんや」
(´・ω・`)「だんだん今の形に近づいてきてるね」
彡(゚)(゚)「最終的に今の持ち時間である8時間の2日制になるのは第27期からなんや」
(´・ω・`)「ふーん」
(´・ω・`)「おお!ついに大山名人が誕生したんだ」
彡(゚)(゚)「この番勝負で名人位を失冠した木村は「良き後継者を得た」との言葉を残し棋界を退くんや」
(´・ω・`)「美しい退き際だね」
彡(゚)(゚)「そして大山はこの後も名人戦で無類の強さを誇り、通算で18期に渡って名人位に君臨するんや」
(´・ω・`)「や大N1」
彡(゚)(゚)「名人位に就いた大山は1953年の第12期名人戦から1956年の第15期名人戦にかけて2度の挑戦を決めた升田、日本一の攻めと謳われた高島一岐代、元真剣師で木村門下の花村元司の3人を合わせて16勝3敗の戦績で退け、5期連続で名人位に在位、同時に十五世名人の資格を獲得するんや」
(´・ω・`)「やっぱ強いねこの人は」
彡(゚)(゚)「せやろ、5期の名人獲得に誰もが当時最強の棋士は大山で異論はないと認めたであろう1957年、これをひっくり返す棋士が現れるんや」
(´・ω・`)「お!誰!?」
彡(゚)(゚)「升田幸三や」
(´・ω・`)「おお!やっぱライバルは立ちはだかってこそだよね」
彡(゚)(゚)「当時のタイトル戦は名人戦、九段戦、王将戦の3つやったんや。そのうちの1つである九段戦を升田は塚田を相手に奪取。そして王将戦では大山名人を相手になんと香落ちでの勝利を挙げているんや」
(´・ω・`)「ちょっと待って!タイトル戦なのに香落ち?」
彡(゚)(゚)「詳しい話は割愛するが当時の王将戦は少し特殊でタイトルを奪取してから香落ちで指すこともあったんや」
彡(゚)(゚)「升田の幼少の頃からの悲願であった”名人を相手に香を落として勝つ”が達成されたのがこの年やな」
(´・ω・`)「名人相手に香車落として勝つってかなり強くない?」
彡(゚)(゚)「平手で勝てれば名人と互角、それを凌ぐ強さを升田は見せつけたわけやな」
彡(゚)(゚)「そしてこの年の名人戦では升田が名人挑戦権を獲得し見事大山から名人位を奪取するんや」
彡(゚)(゚)「当時のタイトルは3つやったから升田はその全てを手中に収める全冠制覇を史上初めて成し遂げたわけや」
(´・ω・`)「はえ~強っよ」
彡(゚)(゚)「ちな三冠王になって棋士の頂点に立った升田は「辿り来て未だ山麓」という名言を残してるで」
(´・ω・`)「かっこ良スギィ!」
ええな
今でも聡太の聡の字使って名前つける親もいるんやろか
いずれ同じ名前同士で対局することがあったりしてな
彡(゚)(゚)「翌年の第17期名人戦では升田は挑戦者となった大山を4勝2敗1持将棋の戦績で退け名人位獲得を2期に伸ばすものの、大山が升田から九段、王将を取り返しさらに翌期、名人位をも取り返し三冠独占を果たすんや」
(´・ω・`)「復活してきたわね」
彡(゚)(゚)「そこからの大山はまさに無敵と言ってもええやろ。1960年に新設された王位戦で王位を獲得し四冠独占、1962年にはこれまた新設の棋聖戦で棋聖位を獲得し五冠独占を達成するんや」
(´・ω・`)「もう(手がつけられ)ないじゃん…」
彡(゚)(゚)「名人位に限っては升田から取り返した1959年から1971年まで独占状態や」
(´・ω・`)「10年以上連続で名人で居続けるなんてやっぱこの人凄E」
彡(゚)(゚)「この間、なにも挑戦者が弱かったというわけではないんや。『神武以来の天才』と呼ばれ史上最年少で名人挑戦者になった加藤一二三、巧みな歩の使い方から『小太刀の名手』と呼ばれた丸田祐三、羽生さんの師匠で『北海の美剣士』と呼ばれた二上達也」
彡(゚)(゚)「そして当時は珍しい研究家で戦術家であった山田道美、『火の玉流』と称される攻めの達人有吉道夫、駒落ちの達人で『荒法師』と呼ばれる灘蓮照、いずれもタイトル挑戦や棋戦優勝複数回を数える一流棋士ばかりや」
(´・ω・`)「異名的なの好きだねお兄ちゃん」
彡(゚)(゚)「…強い棋士は大体異名付いとるからな。分かりやすいしええやろが」
彡(゚)(゚)「この頃は名人戦に限らず他のタイトル戦でも大山対その他という構図が出来上がっててなかなかその牙城を崩すのは容易やなかったんや」
(´・ω・`)「お、もしや…」
彡(゚)(゚)「1968年度に山田道美棋聖を破り史上最年少で棋聖位を獲得した中原誠や」
(´・ω・`)「やっぱりな」
彡(゚)(゚)「1970年度には十段位を大山から奪取、翌年度には棋聖を通算5期獲得し、20代でありながら永世棋聖の資格を得た少壮気鋭の中原誠が1972年、A級2年目にして大山名人との番勝負に名乗り出たわけや」
(´・ω・`)「…いや待てよ、あの大山名人でも1回目で名人奪取とはいかなかったわけだし今回も
彡(゚)(゚)「そしてフルセットの末に中原が大山を下し自身の三冠目となる名人位を戴冠したんや」
(´・ω・`)「そう」
彡(゚)(゚)「この後大山は2度名人挑戦者になるんやが捲土重来とはいかず、名人位に返り咲く事は無かったんや…」
(´・ω・`)「大山一強時代を終わらせたんだね」
彡(゚)(゚)「中原は『棋界の太陽』とまで呼ばれたからな。それまで大山がどれだけ他の棋士達を負かしてきたのか想像に難くないわな」
(´・ω・`)「まさにヒーロー的な扱いだね」
彡(゚)(゚)「剃髪の挑戦者として話題になった『終盤の魔術師』森?二、『いぶし銀』と称される巧みな銀の使い方で生涯タイトル4期を獲得した桐山清澄、この人らもまたタイトル挑戦、棋戦優勝複数回を数える名棋士なんやが、中原はこれらを相手取って8期連続で名人を防衛するんや」
(´・ω・`)「かつて大山名人が戴いた玉座に今度は中原名人が君臨したわけだね」
彡(゚)(゚)「せや。中でも中原を相手に苦汁を飲まされ続けたのは米長邦雄永世棋聖や」
彡(゚)(゚)「中原を相手に三度の名人挑戦権を獲得するも、三度とも敗北を喫し名人にはなれなかったんや」
彡(゚)(゚)「中原は人生初の公式戦4連敗を経験、対する米長は最優秀棋士賞を受賞、名人戦でも米長が開幕2連勝でスタートをきり、その勢いには確実に差があったんや」
彡(゚)(゚)「だが米長の2勝1敗で迎えた第4局に中原の妙手、かの『5七銀』が飛び出すんや。米長はそこから3連敗して名人には届かなかったんや」
(´・ω・`)「相性が悪かったのかな…」
彡(゚)(゚)「そんな米長が中原を相手に初めてタイトルを奪うのはなんと8度目の挑戦でなんや」
(´・ω・`)「すごい量の苦汁を飲まされ続けたんだね…」
(´・ω・`)「この流れで行くと谷川九段かな?」
彡(゚)(゚)「はずれ!加藤一二三九段や」
(´・ω・`)「あのひふみんが!?」
彡(゚)(゚)「史上最年少で名人挑戦を決めた年から22年後、大山から中原へと受け継がれた大名人の座を崩しに加藤が名人へと挑むんや」
(´・ω・`)「熱いね…!」
彡(゚)(゚)「この名人戦は4勝3敗1持将棋2千日手という実質十番勝負の末、加藤が中原を破り初めて名人位を戴冠、実力制第六代名人が誕生するんや」
(´・ω・`)「内容もアツゥイ!」
(´・ω・`)「なして?」
彡(゚)(゚)「谷川は中原を倒して名人になりたかったのに加藤が名人になってしまったからや」
(´・ω・`;)「えぇ…そこいうほど重要か?」
彡(゚)(゚)「谷川は名人というものになにか特別な思いを持ってたんやろな…」
彡(゚)(゚)「その翌年、谷川は名人挑戦権を獲得し加藤名人を相手に4勝2敗で名人位を奪取、実力制名人制度になって7人目の、かつ史上最年少の名人が誕生するんや」
(´・ω・`)「中原が相手ならあるいは…」
彡(゚)(゚)「谷川は最年少名人というだけでも凄いのにその人格でも周囲を驚かせるんや。名人を奪取した谷川は「1年間、名人位を預からせていただきます」と発言」
彡(゚)(゚)「翌年は『だるま流』と称される森安秀光を相手に名人位を防衛、「これで弱い名人から、並みの名人になれたと思います」との言葉を残してるんや」
(´・ω・`)「謙虚が過ぎる」
(´・ω・`)「やっぱり超一流の棋士は復活力がハンパじゃないんだね」
彡(゚)(゚)「大山にしろ中原にしろ一時代を築くような棋士は年老いても一線で活躍しとるからな」
彡(゚)(゚)「再び名人位を手にした中原は44期、45期にそれぞれ捲土重来の元名人大山、そして3年前に史上3人目の四冠王を獲得したライバル米長を退け、立て続けに名人位を防衛するんや」
(´・ω・`)「また米長さんは勝てなかったのか…」
彡(゚)(゚)「しかし翌年、はやくも名人位を取り戻しに来た谷川が4勝2敗で名人を取り返すんや」
(´・ω・`)「ひえ~バチバチだね」
彡(゚)(゚)「その翌年に谷川は米長を相手に名人を防衛するも、さらに翌年には三たび名人挑戦者となった中原が名人位を奪取、これで中原は2度目の名人位復位を果たすんや」
(´・ω・`)「さり気なく名人位を取らせて貰えない米長さんほんと気の毒…」
彡(゚)(゚)「そんな米長が中原名人を相手に6度目の名人挑戦を決めたのが1991年、しかしこれもまた4勝1敗という戦績で中原が勝利し名人防衛や」
(´・ω・`)「米長さんは中原名人と谷川名人に挑戦してるってことは順位戦ではそのどっちかに勝ってるってことだよね?なんで名人戦では勝てなかったの?」
彡(゚)(゚)「知らん」
(´・ω・`)「急に冷たい!…2日制9時間という長い持ち時間が苦手なのかあるいは七番勝負という長い戦いでの作戦の立て方が苦手なのか…」
彡(゚)(゚)「それは違うやろ。名人以外のタイトルは18期も獲得する棋士やで」
(´・ω・`)「んん…そっか」
彡(゚)(゚)「名人位は強いだけじゃ取れない何かがあるのかもしれんな…」
(´・ω・`)「あっ、普段の行いか」
彡(゚)(゚)「…」
彡(゚)(゚)「さて、1992年には五段での王位を獲得、二冠達成と最優秀棋士賞受賞を成し遂げた本格派居飛車党、高橋道雄が中原名人への挑戦者になったんや」
(´・ω・`)「アニオタの人!」
彡(゚)(゚)「タイトル獲得数5期の一流棋士やぞ敬えや」
彡(゚)(゚)「高橋は中原名人を相手に矢倉で3勝をあげるもフルセットの末敗退、中原が名人獲得数を15期まで伸ばすんや」
(´・ω・`)「衰えないねぇ」
彡(゚)(゚)「そして翌年、49歳にして7度目の名人挑戦者となったのが米長や」
(´・ω・`)「その年になっても名人戦に出れるってすごい」
彡(゚)(゚)「そして米長は中原名人を相手に4連勝し悲願の名人を獲得するんや!」
(´・ω・`)「おおっ!遂に名人になれたんだね!」
彡(゚)(゚)「史上最年長となる49歳と11ヶ月での名人獲得や」
彡(゚)(゚)「この頃米長は当時力を伸ばしてきていた若手棋士に教えを請う形で自身の序盤を見直し、中原対策を立ててたんや」
彡(゚)(゚)「自分よりふた回りも年の離れた若手棋士を先生と呼び、頭を下げることもいとわない。名人獲得への執念が感じられるな」
(´・ω・`)「中々出来ることじゃないよね…」
彡(゚)(゚)「そして50歳での名人就位式ではなんと2000人を超える参加者が集まったんや」
(´・ω・`)「すげー顔広いんだね」
彡(゚)(゚)「その就位式で米長は「あの子が来年、私のクビを取りにやってくる」と、当時既に四冠を達成しその頭角を現していた羽生善治の名人挑戦を予言し、実際にその翌年にはA級順位戦で谷川とのプレーオフを制し羽生が名人挑戦、4勝2敗で名人位を獲得してるんや」
(´・ω・`)「はえ~まるでドラマみたいだぁ」
(´・ω・`)「谷川九段も大山中原と続いて来た頂点を継げると思ったら羽生さん他が出て来ちゃったんだね」
彡(゚)(゚)「タイミングが悪かったんやな…」
彡(゚)(゚)「翌1996年度には中原をプレーオフで破った森下卓が羽生名人への挑戦者となったんや」
彡(゚)(゚)「自身の名を冠する『森下システム』を考案した研究家肌の矢倉の大家であり、タイトル挑戦6回を数えるほどの名棋士や」
(´・ω・`)「でもたしか無冠なんでしょ?」
彡(゚)(゚)「…大体羽生のせいやなそれは」
彡(゚)(゚)「森下は棋界随一の律儀さを誇る人格者として有名やが、羽生の七冠達成を棋士全員の屈辱であると発言するほど、勝負に対して熱い面もあったんや」
彡(゚)(゚)「そんな森下でも羽生の牙城を崩せず、翌年度は羽生と同級生でこれまた若手強豪として台頭していた森内俊之が挑戦者となるんや」
(´・ω・`)「あっ、カレーの人だ!」
彡(゚)(゚)「さっきからどうにかならんかそのイメージは」
(´・ω・`)「じゃあバックギャモンのつえー人」
彡(゚)(゚)「…まあええわ」
やっと立てられたわ
ゆっくり読んでいってクレメンス
(´・ω・`)「小学生の頃からのライバルだよね」
彡(゚)(゚)「昔からの戦友ちゅうやつやな」
彡(゚)(゚)「森内にとっての初タイトル戦となったこの名人戦、途中封じ手を巡る珍事もあったものの羽生が4勝1敗で名人位を防衛し名人獲得を2期に伸ばすんや」
やっぱり研究をそこに持ってくるって大事なんやなって思う
天彦もそんな感じするわ
(´・ω・`)「名人より竜王のほうが上なんだっけ?」
彡(゚)(゚)「名人位は伝統があるけど竜王位のほうが賞金が高いからな」
(´・ω・`)「お金か…」
彡(゚)(゚)「スポンサーあっての将棋やししゃーない」
彡(゚)(゚)「さて、名人位奪取によって名人獲得数通算5期となった谷川は紆余曲折はあったものの、十七世名人の資格を得たんや」
(´・ω・`)「途中にだいぶ邪魔が入ったね」
彡(゚)(゚)「翌年、そんな谷川名人への挑戦者として名乗りを上げたのはA級順位戦で羽生とのプレーオフを制した羽生世代筆頭、佐藤康光や」
(´・ω・`)「お、変態流ゥー!」
彡(゚)(゚)「いや、まだこの頃は『緻密流』と称される正統派だったんやで」
彡(゚)(゚)「この年の名人戦はフルセットの末佐藤が名人を奪取、さらに翌年は名人位奪還を狙い七番勝負の舞台に上がってきた谷川をこれまたフルセットで退け名人位を防衛するんや」
(´・ω・`)「羽生さんばっかり取り上げられるけどやっぱこの人も強いんだよね」
彡(゚)(゚)「名人2期に加え永世棋聖の資格も持っとるし超一流やぞ」
将棋史に名を遺すクラスの名棋士が7,8人同い年って
切磋琢磨ってあるんやろうな
孤高じゃなかなか難しいと思う その点ナベは頑張ってる方やな
谷川さんもね…
藤井君はそこがどうなるかやな
猛かと思って?ってなった
仲のいい天彦広瀬がタイトル取ってるけど羽生世代みたいな切磋琢磨感はないよな
彡(゚)(゚)「名人挑戦権を得たのはこれまた羽生世代で居飛車党の研究家、丸山忠久や」
(´・ω・`)「あっ、https://youtu.be/Q_C7IUDhpZE
の人だ!」
彡(゚)(゚)「お、どうした急にアルファベット唱え出して」
彡(゚)(゚)「将棋界では有名な健啖家で気風は『激辛流』普段は『ニコニコ流』駒を扱う手付きは『音無し流』、更には中国製のデカ扇子を持っていたりと、あまり人前には出んが話題に事欠かん人やな」
みろく庵で丸山定食頼んでみたわ
普通に食べられるけど将棋でウンウン唸ってるときに食べるのはバケモンやと思った
みろく庵行きてぇなぁ
そしてじょい豆腐定食を食べるんや
女将と話してたらヤクルトの選手が出前で頼むらしいで
山田はいつもさんま食っとるとか
将棋メシだけじゃなくて野球メシでもあるのか…
(´・ω・`)「漢だね!」
彡(゚)(゚)「結果は4勝3敗で負けてしまったけどな」
彡(゚)(゚)「さらに翌年には再び名人挑戦者となった森内が4連勝で名人位を奪取し31歳にして初の名人位を戴冠、しかしその翌年、佐藤と藤井猛の2人をプレーオフで破った羽生挑戦者が森内名人を4連勝で退け再び名人位は羽生の手に渡ることになるんや」
彡(゚)(゚)「先にネタバレしておくとこの時から10年以上、名人位は羽生か森内のどちらかが着くことになるんやで」
(´・ω・`)「ファッ!?」
彡(゚)(゚)「2004年の名人戦は森内がA級順位戦を全勝して挑戦者となりこれを制し、さらに翌年は羽生が挑戦者となり三たび羽生森内の顔合わせでの名人戦に、ここでは森内が名人位を防衛、森内名人は勢いそのままに翌年挑戦者となった谷川をも退け永世称号獲得まであと1期と迫るんや」
(´・ω・`)「名人戦の森内は羽生谷川をもってしても破れないのか…」
最近羽生元気だけど
>>135
ひふみん引退
藤井くんデビュー
これだけでもう大きく時代が変わってる感あるやろ
羽生さんはええんや
1人だけ超然としてて草生えますよ
なお、胴元のはb(ry
彡(゚)(゚)「森内の永世名人獲得をかけた2007年度の名人戦は羽生世代の一人で正統派居飛車党の郷田真隆が挑戦者になったんや」
(´・ω・`)「これは格調高い挑戦者」
彡(゚)(゚)「ここで一つええ話でもしとこか。郷田が名人挑戦を決めたA級順位戦の対局があった日の朝、郷田の父が亡くなったんや。しかし家族は余計な気を遣わせてはいけないと対局が終わるまで連絡をしなかったんや」
(´・ω・`)「…」
彡(゚)(゚)「ただまあ、結果は4勝3敗で森内が名人位を防衛するんやけどな」
(´・ω・`)「神はいねえのかよ…」
(´・ω・`)「羽生さんより先に森内さんが永世名人になったってのも面白い話だよね」
彡(゚)(゚)「それだけ森内は名人戦、順位戦を得意にしていたってことなんやろな
彡(゚)(゚)「しかし2011年に名人挑戦者となった森内が羽生を下し再び名人位に、翌2012年、この年は大橋宗桂が名人になったとされる年からちょうど400年目の節目の年、羽生が森内に続いてA級順位戦を全勝し名人挑戦者になり、都合7度目の羽生森内の名人戦となるんや」
(´・ω・`)「大橋宗桂…ちょっと忘れてたよ」
(´・ω・`)「にしても小学生の頃からライバルだった十八世名人と十九世名人が将棋の名人の節目となる年に名人位を争うってちょっと出来過ぎじゃない?」
彡(゚)(゚)「こんな脚本書いたらボツになるやろなぁ」
彡(゚)(゚)「そして2012年の名人戦は4勝2敗で森内に軍配が上がるんや」
彡(゚)(゚)「ここからの森内名人は確変タイムや」
彡(゚)(゚)「2013年には再び挑戦者となった羽生を4勝1敗と圧倒的な内容で下し名人位を防衛、一方の竜王戦では羽生との永世竜王対決を制し既に9連覇を果たしていた渡辺明を下し竜王位を奪取、2大タイトルである竜王、名人をその手中に収めたんや」
(´・ω・`)「最強じゃん」
彡(゚)(゚)「まあそれも長くは続かなかったんやな、翌2014年には3年連続で挑戦者となった羽生にストレートで名人位を奪われ、竜王位も糸谷哲郎に奪われてしまうんや」
彡(゚)(゚)「その後の順位戦でも奮わず、再び名人戦の舞台に立つことなく、2016年度の順位戦でB級1組への降格が決まりフリークラス入りを宣言するんや」
(´・ω・`)「フリークラスってなあに?」
彡(゚)(゚)「まあ事実上の順位戦の引退みたいなもんやな」
相当悩みぬいたんやろうが
(´・ω・`)「…あ、羽生世代以外の名人誕生って久しぶりじゃない?」
彡(゚)(゚)「羽生世代以外の名人誕生はおよそ20年振りやな」
(´・ω・`)「羽生世代は20年もトップに君臨してたのか…」
彡(゚)(゚)「だがその時代も終わりを迎えたと言ってもええやろ。昨年2017年の名人戦はA級1年目の稲葉陽が名人挑戦権を得て、21年ぶりとなる、羽生世代のいない20代同士の名人戦となったんや」
(´・ω・`)「世代交代の波が押し寄せてきてるね」
彡(゚)(゚)「ほんまにな(棒読み)」
彡(゚)(゚)「そして今年、20代同士の名人戦を4勝2敗で制した佐藤名人に挑むのは、史上初の6人同時プレーオフを制して挑戦権を得た羽生さんや。タイトル100期獲得を目指して名人戦に挑むんや」
(´・ω・`)「結局世代交代してないやん!」
彡(゚)(゚)「まあ昨年度にC級2組の順位戦を9戦全勝で昇級を決めたあの藤井聡太が来るまでは当分お預けちゃうかな…」
(´・ω・`;)「えぇ…」
桐山先生に解説してもらった
やっぱあの先生ええ人や 1000勝してもらいたいもんや
最短でもあと4年
サンガツ
先に竜王行きそうやね
なんで四年かかるのかわからない
そもそも段もわからないんごねぇ
名人戦の予選が順位戦ってやつやねん
順位戦は5つのクラスに分かれててどう頑張っても1年に1ランクしかあがれへん
藤井聡太は一番下から去年1個上がったんや だからあと4年
ほーんなんか年中やっとる気がするけど長丁場なんやなぁ
1年かけてその組の中の昇級降級を決めてるんや
1人あたり大体10局前後やね
はげそう(コナミ)
感覚は間違ってなくてリーグ戦やからほぼ1年中戦ってるんや
順位戦って棋士の中でも最重要レベルやから気合の入り方がみんなちがうで
(´・ω・`)「終盤の駆け足感は否めないけど、やっぱり名人って伝統のあるタイトルなんだね」
彡(゚)(゚)「家元制から推挙制、そして実力制と名人の決め方は移り変わったものの、将棋指しとしての棋士の本懐は名人位に着くことと言っても過言ではないやろ」
彡(-)(-)「棋士としての頂点を目指し、様々なドラマが繰り広げられてきた名人戦、これから先はどんなドラマが待ち受けてるんやろなぁ」
(´・ω・`)「ちょっといい感じに締めようとしてる…」
彡(゚)(゚)「さて!今年の名人戦はすでに2局を終え1勝1敗のタイや。5月8日9日に行われる第3局の行方を見守ろうや」
(´^ω^`)「うん!」
見れるかなぁ
あと先ちゃんが戻ってこれるようでうれしいぞ!
結局最初からずっと居てしまったわね
>>164
ありがとナス
なんか気になることあったら答えられる範囲で答えるで
イッチの好きな棋士は誰?
隙自やけどワイはさっきも言った先崎さんや
あの人から将棋ファンになったし復帰は泣くほど嬉しい
ワイはまだ将棋に関わって浅いけど天彦名人やな
C級全勝した時の棋譜並べて横歩での相手玉との距離感の取り方に惚れたわ
人生タイミングも大事なんやなあって
>>173
強くなきゃタイトルはもちろん取れないけど強いだけじゃ取れないってのも面白い
相性とか人間性も相まってドラマを作り出してるわ
>>175
大舞台に出てくるとその棋士のエピソードとか掘り下げられるけどやっぱそれぞれ面白いで
せやな
こういう歴史やエピソード小ネタを知っているとより楽しめると思うわ
大山頭おかしい成績やわ
そら大山アホも沸いて出てくる
ほんまにな
タイトルの数がもっと多かったら羽生さんが大山超えるまでどれくらい時間かかってたかわからんで
取れたかはわからんけど挑戦する機会はあったやろな
>>181
10年間ずっとタイトル戦で続けたと言う怪記録
やべーわ
きっと取れてたと思うでワイは
名人に対する熱意は人一倍やって話やから取ってたんちゃうかなあ
森内しかり天彦しかり順位戦名人戦って力の入れようかなり重要やと思う
はよ竜王戦戻ってこいや
そらあの一件はアカンかったけどそれでも応援しとるぞ
最近「名人は目指さんでもええかな」とか言い出しててびびったわ
今メンタルやられてるっぽいけど強いナベがまた見たいンゴねぇ…
もっと早く獲ると思ってたんやけどなぁ
正直B級になったら這い上がれん気がするわ・・・
本人も言ってたけどこれがスランプなのか衰えなのか・・・
ナベファンやないけど15歳でプロ入りしたのを見たなら普通は取ると予測するやろ
なお現在
鬼畜メガネじゃなくて鉄板流とか綿密流みたいな
羽生マジック
それは結果であって羽生の指し方の特徴や無いやん
藤井猛にもあったっけ?
猛はガジガジ流やな
それは褒めてるんですかねえ・・・
うまく食いついたら離れないとかそういうニュアンスやったっけな
字面ではわかりにくいほうやね
あると思います
近年、ナントカ流ってつかんよなあ つける人がおらんのやろうけど
あと光速の寄せが最近復活して嬉しいです
豊島・拳銃の柄で殴ってくる(終盤が若干遅いが致命傷にはなる)
永瀬・2代目大山康晴
菅井・研究将棋
太地・現代的我慢比べ
藤井・最強の序盤と終盤のファンタジスタ
ダニー戦で感想戦まで叩き潰していくのかわいそうだった
あの対局2回勝ってたもん
○○先生の一生的な学びもおもろそう
羽生谷川あたりから序盤終盤が整備されて勝ちの最短距離が見えるようになって、今やソフトで大体の正解が見えるようになったから個性が出るような多様な指し回しが見れなくなってきたんやないかな
>>209
明治から昭和あたりに活躍した棋士はエピソード多いなやっぱり
山本享介さんの著書とかほんまおもろい
>羽生が肩書として段位を名乗ったのは竜王挑戦時の「六段」が最後である
これがキチガイすぎて草生える
藤井五段は2週間しかいなかったけど羽生七段、羽生八段に至っては存在すらしない
藤井くんもそうなりそうやけどな
藤井7段はあるやろ
藤井8段は微妙やけど
ワイは聡太君より猛先生のが好きなんや
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