【民明書房軍】
1番 ライト 纒?狙振弾(てんがいそしんだん)
棍法術最強の流派として名高いチャク家流に伝わる最大奥義。
この技の創始者 宋家二代 呉 竜府(ご りゅうふ)は正確無比の打球で敵をことごとく倒したという。
この現代でいうゴルフスイングにも酷似した打撃法は運動力学的観点からいっても弾の飛距離・威力・正確さを得るために最も効果的であることが証明されている。
ちなみにゴルフは英国発祥というのが定説であったが最近では前出の創始者 呉 竜府の名前でもわかるとおり中国がその起源であるという説が支配的である。
民明書房刊「スポーツ起源異聞」より
2番 セカンド 水龍ほー球(すいろんほーきゅう)
古今東西、武道家達が雌雄を決する決闘法は数多くあるが、なかでもモンゴルに伝わる水龍ほー球は最も過酷なものとして有名である。
後に硝子工芸の発達によりガラス球が使用されたが、当時は7メートル四方の木槽に水をいっぱいに満たしその中でどちらかが死ぬまで闘った。
水中では当然闘う時間は限定され、動作に通常の3倍もの体力を消耗するため、その苦しさは想像を絶した。
ちなみに、この決闘で負けた者をモンゴル語で「ドザイモーン」(水死の意)と言い、日本で溺死体を「土左衛門」と呼ぶのはこれに由来する。
民明書房刊『泳げ!!騎馬民族』より
3番 サード 大鐘音(だいしょうおん)
その由来は戦国時代、武田信玄が上杉謙信との合戦に於いてどうしても援軍に行けず、苦戦におちいっている遠方の味方の兵を励ますために自陣の上に一千騎の兵を並べ一斉に大声を出させ、檄を送ったという故事に由来する。
その距離はおよそ二五里、キロになおすとと100キロ離れていたというから驚嘆のほかはない。
余談ではあるが、昭和一五年の全日本大学野球選手権に於いてW大応援団エールは神宮球場から池袋まで聞こえたという記録がある。
民明書房刊『戦国武将考察』より
4番 ファースト 羅惧美偉(らぐびー)
その起源は遠くヨーロッパ中世ラグビー発祥の地、イギリス・イングランドにあるという。
その頃、王侯達の間でラグビー(その原型というべきか)のチームを持ち、競い合うことが流行し、自分のチームを強くするためにそのような残酷な練習方法がいくたびか行われたと記録にある。
民明書房刊『ヨーロッパ中世スポーツの起源』より
5番 キャッチャー 地獄相撲(チャガ・ポルテ)
世界各地に日本の相撲に類似した格闘技は点在するが、その中でも特に有名なのはモンゴル相撲である。その歴史は古く、ジンギスカーンの時代までさかのぼるという。
勇猛果敢な騎馬民族である彼らは戦闘訓練の一環としてこれを行った。
中でも17世紀に時の暴君・ジミヘンカーンによって発案された地獄相撲は、地上15メートルの高さに土俵をつくり、そこで生死をかけて戦うという凄まじいものであった。
ちなみに、現代の日本の相撲で使う「どすこい」という掛け声は、この地獄相撲最強の戦士として知られた「ドスコイカーン」の名に由来するという説もある。
民明書房刊『相撲人生待ったなし』より
6番 指名打者 一文字流斬岩剣(いちもんじりゅうざんがんけん)
一文字流斬岩剣、世に灯籠切りといふ。江戸時代剣聖とうたわれし神泉正宗が 家康に請われ、一度だけ御前にて石灯籠を一刀両断、世間を驚かせたといふ。
以来三百余年剣道界に於いて幻の技とされこれを極めたる者なし。
余談ではあるが不可能を可能にするという意の”魂剣石をも斬る”という諺はこれをいふなり。
一九〇五年民明書房刊『剣史記』より
7番 レフト 鉄騎宙弾(てっきちゅうだん)
拳法において身のこなしの素早さは最も重要であるが、それを倍加させるための道具がこの鉄騎宙弾である。
その原理は至って単純であり、バネと体重による反発力を利用した物である。
これを発明した中国漢代の武術師範・宝 浜具(ほうぴんぐ)は、これを使って地上30メートルまで跳躍し当時の人々を驚かせたという。
ちなみに、日本でも昭和30年代に子供達の間で流行したこれと同形状の玩具・「ホッピング」の名称は、この発明者・宝 浜具に由来するのは言うまでもない。
民明書房刊『玩具に見る古代中国の英知』より
8番 ライト 魔翔流気法(ましょうりゅうきほう)
魔翔流気法…太古の昔から、空を飛ぶことは人類の見果てぬ夢であった。
それを最初に実現したのはライト兄弟とされているが、実は古代中国の山岳地方に住む抜娉族(ばっとうぞく)の手によって成し遂げられていたという。
彼らは谷間から常に吹き上げる強力な上昇気流を利用して空を飛び、交通や軍事に用いた。
もちろん誰にでも飛行できるわけではなく、選ばれた人間が過酷な修行を重ねて始めてできる技であった。
ちなみにこの技を会得できるのは一万人にひとりといわれ、達成者は「抜娉万」と呼ばれ称えられたという。
民明書房刊『バットマンかく語りき』より
9番 ショート 六忘面痕(ろくぼうめんこん)
二世紀、中国漢代後期大罪を犯した咎人に科した刑罰のひとつ。
孝・忠・信・義・仁・礼の 六つの徳を忘れた反逆の徒という証に左右あわせて六条の傷を顔面に切り刻んだという。
現代でも不逞の輩をさして忘六者というのはこれに語義を発する。
民明書房刊『古代刑法全』より
先発投手1 梁山泊(りょうざんぱく)
起源十一世紀古代中国、動乱と野望渦巻く宋の時代-時の権力に反旗を翻し天下に受け入れられなかった豪傑・名将達が集い、別天地をつくった。
彼らは自然の利を巧みに生かした一大要塞を築き上げ、いかなる大群の攻撃をも撃破した。
その名も梁山泊-そこでは広大な中国全土から集結した諸流派の名だたる拳法家・武道家達が昼夜を問わず凄絶なる修行・研究を重ね、やがてそれは梁山泊馮翊拳と呼ばれるひとつの新しい流儀の完成を見るに至った。
その秘技の数々と想像を絶する圧倒的な戦力は、これを極めたものひとりで兵士千人分に値するとさえ畏怖された。
後に梁山泊軍が皇帝の命により行った大宋国平定はこの力によるところが大きかったのはいうまでもない。
民明書房刊『武の中国史』より
先発投手2 戦吉兆占針盤(いくさきっきょうせんしんばん)
戦国時代に武田信玄が中国の霊占をヒントに考え出したといわれる。
円形の盤の上に針の突いているもので、いわゆるルーレットのような形である。
盤面には99の「勝利」と1つの「敗北」が刻まれており、勝利以外に針が止まることはまずあり得ない。
戦の命運を占うために使われたが、その実際はは景気づけのための形式的な儀式であった。
民明書房刊『戦国武将考察』
先発投手3 練活気挿法(れんかつきそうほう)
人間はどんなスポーツ選手でも自己の潜在的肉体能力を50~60%しか使用していないという。
この気挿法の目的は自己催眠をかけることによって精神的な集中力から、自らの持つ体能力を瞬間的に100%引き出すことにある。通常自己催眠に至る方法としては種種あるが、密九教の呪文を唱えることが多い。
現代でも重量挙げなど瞬間的なパワーを要求されるスポーツの超一流選手達の中には、この法を人知れず体得実践している者があるという。
民明書房刊『肉体の神秘とスポーツ』より
先発投手4 盥支蝋(かんしろう)
頭上になみなみと油の入ったタライを持ち上げる。
そのタライの油面にきわめて不安定な木端に乗せた蝋燭を浮かべる。
タライを少しでも微動させれば、蝋燭は倒れ火だるまとなるは必定である。
明治維新直後、その熾烈過酷さの教育で猛名をはせた三の関兵学校に於いて体罰の一つとして行われたという。
民明書房刊『教育と体罰』より
先発投手5 爆挺殺(ばくていさつ)
戦国時代一二五七年、濃越の国主富善長友の守定兼と習野の国主黒羽行康の松ヶ原合戦の折、
一進一退の膠着状況を打ち破らんと黒羽軍侍大将江藤新兵衛が単身火薬を背に敵の本陣に突入し、
身を挺して自爆、見事敵将友長の首級をあげたという、必殺必死の奇襲戦法である。
民明書房刊『戦国異聞記』より
中継ぎ投手1 氣功闘法(きこうとうほう)
氣とは人間の肉体が持つ生体エネルギーのことをいう。
本来人間誰しもが持つ エネルギーではあるが、これを武術として応用するには並はずれた修練が必要とされている。
この氣を引き出すことを氣を練るといい、一定の呼吸と動作の反復組合わせによりなされる。
その力は驚異的なものであり、一例として中国の氣功闘法の達人は己の髪の毛に氣を注入することによりこれを針金のごとく化し、これで敵の急所を突き一撃のもとに絶命させたり、同じく氣を注入した紙片でもって岩石をもまっぷたつにしたという。
民明書房刊『氣-その効用と実践』より
中継ぎ投手2 砕氷凍界(さいひょうとうかい)
蒙古究極の決闘法・硫篋氷樹の名人カクゴールが編み出した秘技この技の原理は高速回転によって生み出された細かい氷片によるヘルベリン冷凍効果により、周囲の温度を零下30度にまで下げ、相手の体温を奪い凍結させることにある。
ちなみにこのカクゴールは氷の王者の象徴として、常に氷一文字の旗を背負っていた。
現代日本でも夏の巷に見られるかき氷屋の旗はこれに由来する。
民明書房刊『かき氷屋三代記-我永遠に氷をアイス-』より
抑え投手 王家の谷の守護者達(ファラオスフインクス)
紀元前三千年、世界最古の文明を誇る古代エジプト王朝では、歴代の王はその権力と富の証として巨大なピラミッドを構築し、莫大な財宝と共に死の眠りについた。
そして、この王家の谷と呼ばれる一連のピラミッド地帯を守るため最強精鋭の闘士を選りすぐり「王家の谷の守護者達」と名付けた。
彼らは中国拳法とは異質の特殊な格闘術を発達させたが、対戦して生き残った者が皆無なためその技の正体は一切不明である。
なお、彼らは不老不死の肉体を持ち、五千年を経た現在でも砂漠の一隅に潜みその技を伝えているという説があるが確認されていない。
明明書房刊『ツタンカーメンの逆襲』より
代打1 晏逅寺軟體拳(あんこうじなんたいけん)
一般に酢が人の体を柔らかくする成分(ビノドキシン)を多量に含有していることは知られている。この性質を応用し、特殊な拳法を編み出したのが晏逅寺軟體拳である。
その修行者はこの世に生をうけたときより酢を満たした大瓶の中で生活・成長し超柔軟な体質を作り出したという。その人体構造学を越えた拳法は必勝不敗の名をほしいままにした。
ちなみに、現代でも副食品として身近なラッキョウは、この軟體拳の達人であった陳辣韮が日々の糧を得るため、修行中に自分の壺に実を漬け、製造・販売したのがその名の由来とされている。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
代打2 乖宙浮遊體(かいちゅうふゆうたい)
一般に蝙蝠の空中揚力の強さは知られるところであるが、中国河南省山奥に生息する攣鵠蝙蝠はその揚力が5キロもあるといわれる。元朝中期、青巾族の乱の折り、元軍の都尉・安史明はこの蝙蝠20匹を使い、万里の長城を越え敵を攪乱することに成功したという。
これを応用し、多彩な変化技を加えて成立したのが乖宙浮遊體であり、 怪拳として世に恐れられた。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
代打3 渦龍天樓嵐(かりゅうてんろうらん)
中国槍術、その最高峰にあり槍聖としてあがめられた呂朱棍が創始したとされる幻の秘技。
槍をすさまじい勢いで回転させることにより小竜巻ともいうべき回転乱気流を起こし、その風圧で相手を攪乱した。
その威力は空を飛ぶ鳥を落とし、雨の日に頭上で回転させれば傘の代わりをもなしたという。
ちなみに現代でも、突然の雨があったとき雨をやませるまじないとして、棒きれを拾い頭上で回転させる老人の姿がしばしば見られるのはこの名残である。
民明書房刊『武道達人逸話集』より
代打4 翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)
中国拳法中興の祖といわれる、黎明流珍宝湖が自らの秘拳修行の為玉仙山に籠もった時開眼した門外不出の秘奥義。
当時、玉仙山には1立方センチあたり5万5千ガウスという超磁力を持つ太極磁石が産出し、これを拳法と結びつけることによって完成した。
つまり磁石にはS極とN極があり、同極間では強い結合力を生じるが、異極間では強い反発力を生じる。
この原理を応用したのである。
すなわち、敵の武器に太極磁石粉を付着させ、同極の太極磁石で出来た防具類を装着すればそれは無敵の防御幕(ボディ・バリアー)となるのである。
現代でも、第四のエネルギーといわれる磁力(マグネット・パワー)の応用範囲は軍事・運輸・発電・宇宙開発と多岐に渡っている。
民明書房刊『大磁界』より
代打5 疆条剣(きょうじょうけん)
西洋剣法として盛んなフェンシングはヨーロッパが発祥の地とされていたが、その源流は遙か中国秦代までさかのぼるという説がある。
この剣は針のように細く鋭利に研ぎ澄まされている為、わずかの力で素早く相手の急所を突くことが出来る。
これを中国拳法と融合させ、数々の秘技を生み出し必殺の武術として完成させたのが秋家二代目邊針愚であり、その名が「フェンシング」の由来であるという。
民明書房刊『世界スポーツ奇譚』より
代走1 攪音波催眠(かくおんぱさいみん)
中国拳法史上幻とされる三代奥義のひとつ。
その発祥は中国版巌流島の闘いとして名高い陳宋明と泰報刻の台南海岸での決闘の折、足場の悪さを克服する秘策として陳宋明が咄嗟に編み出したとされている。
この技には強靱な腱力はもちろんのこと、絶妙なる平衡感覚と卓越した体術が必要なのはいうまでもない。
後にこれを発展させた数々の応用技が生まれた。
民明書房刊『中国日本武術交流秘史』より
代走2 騎馬戦車スコルピオン(きばせんしゃスコルピオン)
古代ローマ帝国の英雄・カエサルが考案し、使用した伝説の兵器。
その威力は絶大で、ラビオーリの戦いでは敵国メルビアの兵一万をこのスコルピオンと名付けた騎馬戦車わずか十両で壊滅させたという。
その秘密は驚異的な装備・仕掛けにあり、まさに当時としては超近代兵器だったのである。
ちなみに、二十世紀の戦車設計においてもそのアイデアは数多く取り入れられている。
民明書房刊『世界史に見る現代兵器の源泉』より
代走3 驚とう操鰐術(きょうとうそうがくじゅつ)
南アジア一帯には野生のマーダー・クロコダイルが多数棲息しているが、十八世紀初頭、かの地ではこれを飼い慣らし操る術が発達した。
この術を応用し、村人は村の周囲に堀をつくりその中に飼育したワニを放ち外敵の侵略を撃退したという。
このためワニは守護神として人々に大切にされた。
現在でも南アジアの某国ではワニを殺した者は死刑という法律が現存しており、昨年迂闊にもワニ革のハンドバッグを所持していた日本人女性が終身刑となったのは周知の事実である。
民明書房刊『クロコダイル・ダンディー-爬虫類よもやま話-』より
打撃コーチ きょう撥雷神拳(きょうはつらいじんけん)
広く知られているように、自然界には電気ウナギ・電気クラゲのような体内に発電器官を持つ生物が数多く存在する。
人間の血液にもわずかながら電流を帯びたイオン質が含まれている。
それを修練により増幅させ強力な電流とし、その刺激で敵を怯ませ、倒すのが中国拳法秘中の秘とされているきょう撥雷神拳である。
伝説ともなっているその開祖・司卑麗は身の丈十尺以上の熊に銅線を巻き付け、一撃のもとに感電死させたという。
ちなみに、現代でも感動したときなどに「しびれる」と表現するのはこの司卑麗の名に由来するという。
民明書房刊『中国電化大革命史』より
投手コーチ 血闘援(けっとうえん)
江戸時代、命と名誉をかけた御前試合などで肉親や友人などが声を出して応援できぬだめ、胸に”闘”の一文字を刻み、身をもって闘志と苦しみを同じくし必勝を祈願するという、応援の至極である。
その起源は遠く鎌倉時代に伝わった中国の兵法書「武鑑」にあるという。
しかし、その胸の傷字は一生残る為、これをするにはよほどの覚悟と相手を思う気持ちが必要であることはいうまでもない。
民明書房刊『武士魂』より
バッテリーコーチ 死穿鳥(しせんちょう)
中国雲南省原産、鷲鷹科の猛禽。
その性質は極めて攻撃性に富み、その特徴的な鋭い嘴で獲物の急所を巧みに狙い、ときとして牛馬をも倒すという。
明朝末期、拳法家の宋大源はこれを飼い慣らし、嘴に即効性の劇毒を塗り殺人鳥に仕立て、それに己の拳法との同時攻撃という特異な死穿鳥拳を完成させたといわれる。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
ブルペンコーチ 昇龍風(しょうりゅうふう)
気象学上は主に標高二千メートル以上の山の北斜面、断崖絶壁に於いて発生する風速百メートル以上の上昇気流をいう。
一九二四年、スコット大佐の率いる英国エベレスト登山隊の一員がその北壁に於いて、ザイルが切れ危うく一命を落としそうになったとき、この昇龍風によって救われたという奇跡は登山家の間ではあまりに有名にな話である。
民明書房刊『世界気象大鑑』より
守備走塁コーチ 黒闇殺(こくおんさつ)
まったく目のきかぬ闇夜や暗い屋内での殺傷を目的とした暗殺拳。
この修行方法としては目隠しをして禅を組み、他の者に針を地に落としてもらい、その気配を察知することから始める。
始めは耳元から、だんだん距離を遠くし、最低でも十M離れた距離から針の気配を察知できねばこの拳は極められないという。
つまり聴覚視覚など五感はもちろん、大切なのはその場の空気の微妙な動きを読む研ぎ澄まされた超感覚を養うことにあるのである。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
ヘッドコーチ 暹氣龍(虎)魂{しんきりゅう(ふう)こん}
中国拳法において、人体最後の神秘とされる「氣」エネルギーを利用した技は数多くあるが、その中でも最高峰とされるのがこれである。
この技の要諦は「氣」を刀身に集中し、龍(虎)の形をした衝撃波として繰り出すことにあり、その圧倒的な破壊力に比例して消耗度も大きいため短時間に連続して撃つことは不可能とされる。
ちなみに、同等の力をもつもの同士が戦う様を『龍虎相打つ』と表現するのはこれが源である。
民明書房刊『中国秘拳満漢全席』より
フィジカルトレーナー 傀儡窕彭糸(くぐつちょうほうし)
人体の筋肉運動を命令するのは脳であるが、その脳と筋肉各部の中継点となるのが神経節である。
ここに糸の突いた極細の針を打ち込み、糸の微妙な操作によって刺激し相手を自在に操るのがこの技の要諦である。
その発祥は中国秦代、金の採掘で知られる華龍山とされ、
他国からさらってきた奴隷達を効率的に働かせるために使われたという。
これに当時の拳法家達が目を付けぬはずはなく、長年の時を経て完成したのが傀儡窕彭糸である。
民明書房刊『中国拳法に見る東洋医術』より
監督 炎刀脅油闘(えんとうきょうゆとう)
達人同士が雌雄を決するために考案された決闘法は数あるが、中でもその極に位置するのが炎刀脅油闘出ある。
その発祥は戦国時代の名将・織田信長が侍大将を決めるために二人の候補者を闘わせたことにある。
全身に油をかぶり、長時間火をともせる松ヤニを刀身に塗り、触れただけでも火ダルマという。
この決闘法を考案したのは冷酷非情と言われた信長ならではといえよう。
余談ではあるが、この決闘法をたびたび楽しんだ信長が、後に明智光秀による本能寺の変で炎に包まれ死んだのは皮肉な因果応報と言わざるを得まい。
民明書房刊『炎の武将・織田信長』より
球団社長 男塾血誓痕生(おとこじゅくけっせいこんしょう)
その由来は中国大陸を駆けめぐり、勇猛果敢なことで名をはせた蒙古ジンギス汗の一族が仲間に戦死したものが出るとおのれの腕にその名を刻み、永遠の復讐を誓い必ずカタキをとったという故事にちなむ。
近代日本でも極道社会に於いては殺された親分の名を腕に刻み、復讐を誓う風習が残っているという。
民明書房刊『日本風俗奇譚』より
【民明書房刊以外軍】
1番 センター 瞬皦刹駆(しゅんきょうせっく)
素早い動きを基礎とした秘奥義は中国拳法にも数あるが、中でも最高峰とされるのが瞬皦刹駆である。この技の修行法は硫酸池に浮かべた不溶性の紙片の上を驚異的早さで駆け抜けるというものであり、失敗すれば即死の恐るべき荒行であった。
これを成し遂げ、達人の域に達した物は瞬きするうちに二十間(約36m)を移動したという。余談ではあるが、我々が親しんでいる「かけそば」は当時修行者達が座して食べる間を惜しみ、器をもって駆けながら食べたそばがその由来である。
太公望書林刊『あなたにもできる!中国拳法修行百科』より
2番 ショート 覬相鋼怨面(きそうごうおんめん)
その発祥は中国明の時代、咎人に対し一生外せぬ鉄製の面を被せるという刑罰である。
死ぬまで言葉もしゃべれず、食事も満足にできぬこの状態は言語を絶する苦痛であり、国家反逆罪等、特に重刑に適応された。それが拳法に応用され技として確立したのは、超磁気を帯びた磁石の発見によるところが大きかった。
磁力を帯びて二つに分割された面が敵の頭部で結合し、それについている鎖で身の自由を奪われたとき勝負はすでについたも同然であった。
この技の発祥以来、脱出できた者は一人としていないという。ちなみに現代でも、無口で無表情な人が「鉄仮面」とあだ名を付けられている
場合が多いが、その先祖がこの技にかかって死んだものかどうかは定かでない。
曙蓬莱新聞社刊『鉄仮面の告白』
3番 サード 凶解面昌殺(きょうかいめんしょうさつ)
中国拳法屈指の奇襲策として知られるこの技の発祥は、秦代末期の李筴振と陳栄公の 『紅原の決闘』にある。
遙かに技量の勝る陳に対して、李は己の甲冑を全て表裏逆に着用し後ろを向いていると錯覚させ、油断し、近づいてきた陳を一撃のもとに倒したという。
後に関節を逆にするまでに発展させ、完成したのが凶解面昌殺である。
ちなみに、この噂はシルクロードを通じて西欧にまで伝わり、現代英語で表裏自在を意味する『リバーシブル』はこの李筴振の名が語源である。
太公望書林刊『シルクロードの彼方』より
4番 ファースト 万人橋(万人橋)
戦国時代武田信玄と松山勝善の合戦の折り、窮地に陥った主人松山勝義を助けるべく、侍大将楠清久は援軍を率いて向かった。しかし、松山勝義の立てこもる高楼山へ行く途中にある雛谷の橋は敵の手によって落とされていた。
そこで楠清久は一計を案じ、中国の兵法書(武鑑)にヒントを得た人橋をかけ谷を渡った。
このとき人橋となった者三十人は味方の兵を渡しきったあと、ことごとく力つきて谷に落ちたという。
その後、松山勝義はこの三十人の勇者達を称えそこに高楼三十塚を建立した。
現代でも橋を建設するときは工事関係者がこの塚に参拝し、工事の安全を祈願する習慣がある。
中津川大観著時源出版刊『戦場にかける橋』より
5番 レフト 極武髪(きょくぶはつ)
古代中国拳法界においてはその頭髪の結い方で技量を表す制度があった。
その段位は上から、甲武髪・乙武髪・丙武髪などと呼び、その最高峰として存在したのが極武髪である。
一見、無造作に束ねただけの名誉の髪型を許されるのは、最高度の修行を経て頂点に達した者だけであり、千人にひとり出るかでないかといわれた。
太公望書林刊『世界頭髪大全』より
6番 指名打者 降龍天臨霹(こうりゅうてんりんへき)
いにしえより現在に至るまで世界各地には人が空を飛ぶという鳥人伝説が多々あるが、中国においては金斗山に住むという仙人が有名である。
本来「降龍」は、仙人が四年に一度民衆の前に山から下界におり姿を現すという意味であった。
それを現実に拳法に具現化させたのが、中国拳法史上最大の奥義であるこの降龍点臨霹である。
これを極めるには、両端に羽状形態を有する杖・棍などを尋常ならぬ早さで回転させる手首の力はもちろんのこと、ずば抜けた平衡感覚が必要とされる。
ちなみに現代のヘリコプターは、前述の金斗山に住んでいたという聘李古浮に由来するという事実はあまり知られていないのは残念である。
尚、読者諸兄特に幼年の子供達においては、くれぐれもこの奥義を極めんとして路上で棒きれなどを振り回さぬよう厳重に注意しておく。
日本曙蓬莱武術協会武術総師範代竹乃元秀路談
7番 ライト 錯距効果(さっきょこうか)
動く物体を注視するとき、その距離と大きさが人間の眼に及ぼす錯覚の一種。
野球における投手と打者の関係を例に取れば、同じ大きさの球を同一距離・同一速度で連続して投げ、それを一定時間打ち続けたとする。
その時、突然わずかでも小さな球を投げるとそれまでの状況に慣らされていた打者の眼はその変化に気づかず距離感を誤り、ことごとく振り遅れ、空振りしてしまう。
このように人間の眼は正確無比に見えても当てにならぬ物である。
太公望書林刊『眼球大脳生理学』より
8番 キャッチャー 磁冠百柱林闘(じかんひゃくちゅうりんとう)
中国宋代、四川省拳法家達によって盛んに行われた異種格闘技。当時は杉木立の枝を払い、頂部を切断してその切り口を足場とした。
その杉は最低でも高さ一五米以上、直径は一〇センチから3米までと変化に富み、落下しようものなら即死は間違いなく、まさに命がけの勝負であった。
後に四川省青陽山で強磁石が発見されるにいたり、杉の頂部に鉄板をかぶせ磁靴を履き、二名対二名で戦う磁冠百柱林闘が完成した。
千変万化の中国格闘技にあってもこの磁冠百柱林闘は最高の技量とチームワークを要求される高度な戦いのひとつである。
現代のプロレスに見られるタッグマッチはこの磁冠百柱林闘を彷彿とさせる。
中津川大観著時源出版刊『偉大なる中国拳法』より
9番 セカンド シックス・オン・ワン
アメリカ合衆国開拓当時、銃はその未開の地にあって開拓者達の生命と財産を守る重要な武器であった。
そうした環境の中では当然射撃の腕が切磋琢磨され、決闘の場合などコンマ一秒でも早く引き金を引けると言うことは命を左右することであった。
その早撃ちの極限ともいえるものがシックス・オン・ワンであり、その名の由来はあまりの早さのために六連発リボルバーリボルバーの銃声全てが重なり一発に聞こえたことにある。
曙蓬莱新聞社刊『撃って候 早くてゴメン』より
押忍!
それでは知識をひけらかすようで恐縮ですが、
九九を披露させていただきます!
インイチがイチ!インニがニ!インサンがサン!
…………九九八十八!!